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邯鄲の夢 邯鄲の夢

2010年06月28日(月) 17:30

先週の24日より参議院議員選挙が始まった。公示前の22日には各党党首が集まってその意気込みと戦い前の握手をマスコミの前で披露していたが、それを見て不思議に思うことがいつもある。集まったのは各党党首だけであり、無所属の議員はいないということである。それはどういうことなのか。


日本の政治家は大抵どこかの党に所属しているが極一握り所属していない議員もいる。そしてそれらの議員は現実としてほとんど政治の表舞台に出てこず、実績も残せないまま終わっていくことがほとんどだ。なぜそのようになってしまうのだろうか。それには次の問題がある。


1つは『政党交付金』だ。1994年に企業などの政治献金が非常に問題となりそれらを制限する代わりに国民1人当たり250円を負担するものとして取り入れられた法案である。年間総額約320億円程度支給されるという大きなものだが、これらの支給条件には「国会議員が5人以上または1人以上で得票率が2%」ないと交付されない。交付されないだけならまだしも、残った分については他の政党で分け合うことになっている。現に共産党も党の理念からか受け取りを拒否しているがその分は他の政党に回っているというのだから呆れたものだ。普通は国庫返納が当たり前だろうが他の事業仕訳はして国庫返納させても自分たちの分はそういう気持ちにはならないらしい。したがって、もらえない無所属議員は政治活動に致命的な支障をきたすというわけではないだろうが、同じ議員であるのに他者が潤い、自己の分まで他者に回るという極めて不利な立場に立たされるのである。


もう1つは国会内での『質問時間』である。国会会議場においては各党の議員数に応じて質問時間が決められている。これは完全な法律ではないが、先例として定められているようだ。したがって、無所属議員の質問時間は衆議院だと480分の1になるため、これでは国会でほとんど発言することができないということになる。差別のような気もするが、各議員1人ずつに同等の時間を与えて、その質問を代表者だけが発言するとなれば当然に各党の質問時間が長くなり、無所属が短くなるということだ。


この2点だけでも無所属議員には大きな不利が働くため、結果、政党に属すということになる。そうすると、政党交付金も幹部が配分を差配するのだから自己の独自の意見や政治理念を貫くことは難しくなり、結果、各党幹部の意見を代弁するような議員となる。これでは各議員に票を投じた有権者を無視していると言えるのではなかろうか。


それを顕著に思わせるのが、「小泉チルドレン」や「小沢チルドレン」という一部の党幹部肝いりで当選した複数の新人議員である。彼らは一様にそれぞれバックアップを受けた幹部の言われるままであり、その政治活動に自己の政治的理念がほとんど見えてこない。はたしてそれで良いのだろうか。


私はもっと自由に各議員が発言や活動ができるようにならねばならないと思っている。政党のバックアップがなければまともな政治活動ができなかったり、新人議員だから自己主張ができなかったりといったことは一部の政党の幹部が政治を握るようにできてしまっている。これではまともな政治が出てくるはずも育つはずもない。政党制を完全否定はしないが、無所属議員がもっと活躍できる政治の場を作った上での政党制であるべきだと思う。その第一歩は「政党交付金」をなくし直接議員に交付する形を取り、また、それを国庫へ返納した議員についてきちんと公表する制度を作ってみてはどうか。とはいえ、このような各党幹部に不利となる法案が成立するはずもないが。

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2010年05月19日(水) 08:00

4月の終わりまでは不安定で冬に戻ったかと思われる日もあったりしたが、5月に入ってからはGWがほぼ晴天に恵まれたのに始まり、少し遅めで少し暑い春のような穏やかな日々が続いている。そんな安定した気候とは異なり、鳩山政権は不安定な政権運営の日々を送っている。


当初、5月末までに普天間基地移転問題を決着させるとしていたが、ここに至って5月末決着は不可能な状況は明らかになっている。それに伴って「決着」の意味を首相をはじめ、関係閣僚がそれぞれ独自に答弁しているが一番低いハードルを目標としても難しい状況だ。「最低でも県外」に続き、またもや発言が守られないことは確実だろう。繰り返されるこの行為に支持率は低下の一途を辿っている。


普天間の問題は複雑すぎてあまり知らない私が言うのは憚られるが、一旦は2014年までに辺野古沖へ移転する案が決定されていた。当時の決定に至るまでの経緯も正確にはわからないが、沖縄の人にとっては反対派も含めて認識されていたことではあったであろう。ところが、地元自治体の選挙で民主党が推薦したいわゆる基地反対派が多数当選し、地方・国共に反対派の民主党が多数を占めたうえに、「最低でも県外」発言を首相がしたのだから「変更あるもの」と期待するのは当然のことである。期待させて「結局は元の案で」では怒りは収まらない。選挙や支持率のために巧言令色では困る。仮にそのつもりが言った本人になくても結果をみるとそう考えざるを得ない。今後はそのことを肝に銘じて発言をするようにしてもらいたいものだ。


それにしても普天間の問題は今後どう決着をつけても税金が当初より多くつぎ込まれるのは明白だ。なぜなら、仮に辺野古沖案がなくなった場合にこれまでそれを基本路線として行ってきた様々な経済振興策などが意味をなさなくなり、新たに別で経済振興策を実施しなければならないからだ。そもそも首相が辺野古沖案を否定する発言をした時にそれについても言及して検討すべきだったのではないだろうか。このままでは沖縄県民が納得せず、仮に別案になった際には、これまでそれを既定路線として行われた振興策に対する税金が返還されなければ他の納税者が不満に思うだろう。いずれにしてもこの影響が他の政策の財源に影響を与えないのかもしっかりと説明してもらう必要を感じる。


参院選に向けて暗雲立ち込める鳩山政権。梅雨入りとともに普天間問題が五月雨る(さ乱る)要因となってしまうのだろうか。

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2010年05月11日(火) 08:00

 ながらくの休暇を挟んでまた執筆を継続することとなった。読んでくださっていた方も今日より読み始めた方もご一読のほど宜しくお願い申し上げる。


 さて、前回より2ヶ月が経ち、その間政治経済社会それぞれ様々な動きがあったが最近のことをいくつか取り上げたいと思う。


 経済では3月の終わりには日経平均終値で11,000円を超え、その後も復調気配で推移してきた。極最近にギリシャに端を発した欧州の経済不安があって本日も10,530円と11,000円を割ってはいるが、既に10,000円ではなく11,000円が基準となっており底堅い雰囲気を示している。我々一般庶民の生活においては「何が変わった」というわけではないが、通勤や外出途中に周りを見渡しても、これまで不況で止まっていたと思われる建築工事があちこちで再始動しているのが目に付きだした。やはり、不動産が活発になれば経済全体が活発になる。秋から冬にかけて我々一般にも変化が現れてくるかもしれない。


 政治では民主党の「政権交代」というフレッシュさだけでは補えない責任政党としての頼りなさが露呈してしまった。高速道路無料化問題、子ども手当問題、そして普天間基地移転問題などだ。いずれの問題にしても野党時代(もしくは与党になった直後)に大風呂敷を広げたものだから、今となって現実の壁にぶち当たって解決に四苦八苦している。そして、いずれも完全に誰もが納得する形での実施は不可能だと私は見ている。というよりも、国民のほとんどはそう思っている。なので、民主党には誠心誠意実現に向けての努力をしたうえで、実態にそった実施方法を模索してもらいたいというのが大多数の本音ではなかろうか。このまま、うやむやに実施されなかったり決着しないまま先送りというのが政治的にはよくある。それだけは避けてもらいたいものだ。
少し違うかもしれないが、そう考えれば消費税を導入した竹下首相(当時)は思い切ったことをしたものだ。もちろん導入しても政権維持に自信があったのだろうが、あれだけ批判を受けても強行採決をしたのだから。そして、今、消費税は国家にとっては財政として、国民にとってはそれを財源とした施策のためになくてはならない税となった。今回の問題が将来どうなるか分からないが、目先の支持率だけではなく長い国家戦略として考えてもらいたいものである。


 社会では東京都の人口が1,300万人を超えたという記事に目がいった。東京都はバブル期に地価が高騰し、増加に歯止めがかかっていたものの崩壊後の97年から転入者が転出者を上回り続けていた。62年に1,000万人、67年に1,100万人、00年に1,200万人を突破してからわずか10年で1,300万人となったという。ちなみに神奈川の横浜や千葉などを含めると3,600万人にもなるという。これは巨大都市として世界最大クラスとのことだ。カナダなど1国よりも人口が多いのだからとてつもないことである。原因は地価の下落と高層マンションの増加、地方の求人の減少など様々だが日本全体が人口減少の時に東京一極集中が浮き彫りとなってきている。このまま東京だけとなってしまうのか。上海万博に大阪館を独自に出展している大阪には頑張って欲しいものだ。

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2010年02月01日(月) 15:47

早くも2010年も1ヶ月が過ぎた。さすがにもう正月気分が抜けない人はいないと思うが、さりとてつい昨日のような気もするのは私だけではないだろう。そんな短い気がする1月だったが話題のタネはきっちり1ヶ月分あったようだ。政治では与党の小沢幹事長の政治団体による土地購入資金を巡る問題やそれを巡る首相の発言に対する批判、朝青龍関の一般人に対する暴行疑惑、JALの破綻など。中でも個人的に気になったのは百貨店の閉鎖に関するニュースだった。


2008年のリーマン・ショック以来、不況にあえいでいる世界各国だが昨年の後半から徐々に回復の兆しをみせていた。特に日本で経済の指標とされるトヨタ自動車の年間販売台数が698万台と回復を見せたことからも今年はさらに上昇を見込んでいたところだがそうもいかなかった業界が百貨店業界である。1月末には相次いで閉鎖予定が発表されたのである。


これまでも不採算店の閉鎖が行われてきたが更に東京・有楽町の西武百貨店が今年のクリスマスに閉店を決めたほか京都・四条河原町の阪急百貨店も今秋に閉鎖することを決めた。百貨店業界の売上高は近年ずっと下がり続けピーク時(1991年)の9.7兆円から6.6兆円にまでに減少しまった。しかも、昨年は前年比△10%と大きく落ち込んだためより一層閉鎖に拍車をかけたと思われる。


百貨店の閉鎖についてはいろいろな識者が「経済環境の変化(インターネットでなんでも買える時代になった・同じものを安く買える店をすぐに調べられるようになった)」や「百貨店自体の商売構造の欠陥(売れなかった場合の責任は各店舗に取らせていたので売る努力を怠った)」などとある程度仕方のないことだというようなコメントをしている。確かにインターネットを検索すれば同じ商品が安く買える店がすぐに調べられるうえに、最近では通販もかなり法的な安全性が確立されて買い易くもなっている。しかも出かける時間と手間、行くためにかかるコストも省けるのだ。不況で自己の財布の余裕も少ないとなれば欲しいものをより安く買いたいと行動するのは消費者として当然のことだろう。


成長著しい通信販売の総売上高は昨年度で8兆円を超え、百貨店の売上高を抜いたという。月例報告を見ても今年は更にその差は開くと思われる。地域も時間も選ばす、ましてや出店側としても多大な設備投資もしなくて良い通信販売はしばらく破竹の勢いで成長し続けるに違いない。それに立ち向かうには膨大な設備投資が必要な百貨店では不可能なのかもしれない。しかし経済の基本は人の移動である。人が動くからこそ消費が生まれ、そこで経済が発展するのだ。このまま実態店舗が閉鎖を続けていくことが将来に大きな影響を及ぼさないとは言えない。


筆者が子供のころは『百貨店に買い物に行く』のが一つのステータスのようなものであった。そして行けば普段目にしないような商品も豊富にありいろいろと楽しかった記憶がある。現代では百貨店に行かずとも大型電気ショップやショッピングモールに行けば済む話かもしれない。それでもこのまま衰退してしまうのは寂寥の感は否めない。百貨店業界には今一度、百貨店にしかない魅力を打ち出して頑張って欲しいものである。

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2009年12月07日(月) 08:00

 先週は鳩山首相の周辺で当職に関係の深いネタが話題となった。それは鳩山首相の資金管理団体をめぐる偽装献金問題である。故人の名義で献金があったように多数記載していたというものだが詳細は既報が多数あるので省かせてもらう。それが発覚した時に実際の資金の出所は「自己の資産」だということで虚偽ではあるが問題が少ないとされていたが、ここにきて首相の母親から5年間で9億円を受け取っていたということがわかり、様々な問題を呼びつつある。


 一つは年間1億8千万円ずつを現金で受渡ししていたということだが、それが今現在の情報では何の書類のやり取りもなく行われていたという事だ。独立行政法人労働政策研究・研修機構『ユースフル労働統計-労働統計加工指標集-2008』によると一サラリーマンの生涯賃金は大卒以上・男性・生涯一企業で2億9千万円ほどである。女性であれば更に少なくて2億5千万円程度になる。つまり2年も受け取れば生涯賃金を遥かに超える金額となるのだ。それを5年も受け取りながらそのことについて正式に取り決めた書類も何もなく「知らなかった」では済まされるものではない。


 もう一つは税務上の問題だ。こちらが当職の職域だがこのような親子間での資金のやり取りには贈与税がつきものである。今回の資金のやり取りについて担当者は「貸付金」と、つまり借りているだけなので「贈与ではない」と言ってはいる果たしてそうだろうか。


 書類がなくても貸付と認められるには貸し主と借り主双方の意思が重要なポイントになってくる。なぜなら、金銭の貸し借りは「契約行為」であり、「契約」は書面がなくても「双方の意思表示で成立する」ものとされているので「貸した」「借りた」という合意があればいいのである。さらに、金額の多少にかかわらず一定間隔で継続的に返済をしていれば書類がなくても貸し借りであるというより強い証明となるだろう。しかし、鳩山首相の場合は「知らなかった」わけでそのどれもがないのだ。なので、今現在では貸付金とはならないであろう。


 では、贈与となるのだろうかというと形式的にはそういうことでもない。贈与も契約行為で贈与者側の無償で財産を相手に与える意思に対し、受贈者側の受諾の意思表示が必要である。これもまた「知らなかった」のだから受諾していないこととなり贈与は不成立となる。したがって贈与税は形式上は取れないことになるが果たしてそれでいいのだろうか。


 難しいのはここである。鳩山首相は偽装献金の原資は「個人の資産」だと語った。しかし、個人の資産の中には「母親からの9億円」が含まれているのではないだろうか。だとすると、受け取った9億円を個人資産と認識しているのであるから、それは贈与を「受諾」したことにはならないのだろうか。もし9億円がまったく別の場所や別の口座にそっくりそのままあるのであれば話は別だが、鳩山首相が自ら「個人資産」といった中に含まれているならば贈与の可能性は否定できない。いずれにしろ、税務当局はしっかりと調べてもらいたい。


 ところで仮に贈与だと判定した場合の贈与税額は次のようになる。


1億8千万円 − 110万円(基礎控除)=1億7890万円
1億7890万円 × 50%(1千万円超の場合の税率)− 225万円 = 8720万円
8720万円 × 5年 = 4億3600万円


 もちろん、これに多額の罰金(無申告や納付延滞税など)が課せられるので実際の納税額はもっと増えることになる。9億円はほとんど税金に消えるだろう。


 この件で自民党は民主党を攻めようとやっきだが、今日にはその自分の政党所属する弟・邦夫氏にも全く同じように9億円を得ていたと言う報道が流れたのだからお笑い種である。ただ、正直に言って国民からすれば呆れ果てたもんである。つい先日まで長年政権を担ってきた政党の重鎮と新しく政権を獲った政党のトップが揃って国民感覚からすれば途方もない額の財産を受け取っていて「知らぬ存ぜぬ」なのだから。


 こうなってくると「デフレ」や「景気」についても大して考えていないのではないかと勘繰ってしまう。なぜなら、デフレは現金資産を持っている者にとっては黙っていても実質財産が増加するのだから。もちろん、鳩山首相の資産は現預金だけではないだろうからそれは極論に過ぎるが、こうも言っていることがあやふやだと真剣味がないのではないかと疑いたくもなる。これを晴らすには早い時期にこの件に対してきっちりと首相が説明して贈与税を払うなら払う、お金を返すなら返してもらいたいものである。『国民の生活が第一』と言いながらこれほど一般人との感覚にずれがあるのでは信じようにも信じられないものがあることを良く考えてもらいたい。鳩山首相には普通だったかもしれないが5年間で9億円もくれる親を持つ人など日本にはそういないのだから。

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2009年11月30日(月) 15:45

 先週まで2週間にわたって行われていた『事業仕分け』。マスコミだけではなく一般にも公開された予算決定の場(あくまで参考として)は、連日多くの来場者を呼んだ。実は弊社の社員にも研修の意味で参加させてみたのだが、普段はあまり興味がない分野であるが参加したことによって興味が大分湧いたようであった。そのように、来場者には芸能人もいて話題には事欠かないほどの賑わいだった事業仕分け作業だが、その効果は如何であったのだろうか。


 これまでは国家予算は官僚と与党議員が密室の中で決めてきた。それが民主党に変わって、これまでの自民党政権と違うということを印象付けるためか、一部のものを「事業仕分け」の対象として公開の場で予算を話し合った。結果として多くの事業が廃止や見直しとなり、予算額は1兆6千億円超の削減(産経ニュースより)となった。


 日本は未曾有の財政危機にあるが、平成22年度の予算請求額は国家の根幹をなす税収の2倍以上という約95兆円となっている。そこで国債発行額は44兆円以下を目指している政府としては何としても予算削減をしなければならないのである。しかし予算の中には、民主党が選挙に勝った要因でもある「子ども手当」や「学費の無料化」、「高速道路の無料化」「農家の戸別所得補償」などマニフェストにうたった政策のために必要な予算(報道によれば約7兆円)も含まれているため簡単には減らせないのが実情だ。また、予算を削減するとなると官僚との激しい攻防を繰り広げなければならず時間を費やしても結果が出ず、評価もされないというのがこれまでだったのだがそれを一新したのが「事業仕分け」なのだ。


 この事業仕分けの方法は議員にとって非常に有利に働いたと言えるだろう。理由はいくつかある。
仝開の場で話し合うことで非常に透明感が出たこと
∋妬け対象となった時点で国民の多くが削減対象とみなしていたこと
L吃気鮠斂世垢襪茲Δ蔑場の官僚に対し、仕分け人は一部の誤りや欠点だけを指摘すれば良いこと
これ以外にも例えば弁舌の優劣(そもそも立候補して自分の考えを何度も訴えて票を獲得してなった議員に一官僚が弁舌でそうそう勝てるはずはない)などいろいろと有利に働いたことだろう。結果はほとんどの事業が見直しや廃止などの予算減額になり、それに対し官僚が反論することは国民を敵に回すような雰囲気になった。したがって議員は、予算を削減して官僚に恨まれても表面上は反抗されないであろう立場を得たのである。


 これだけだと事業仕分けは良いことばかりでどんどんやったほうが良さそうであるが実際はどうなのだろうか。いくつか疑問点がある。
〇業仕分け対象になる・ならないの選別はどうしているのか
⊆尊櫃貿兒澆箸気譴疹豺腓里修了業の清算(資産の処分や人員の解雇・配置転換など)の影響を検討しているのか
仕分け人の事業とそれらを包括的にみた範囲の知識がどれくらいあるのかが不明
特にについてはスーパーコンピューターの開発事業の予算削減で「2位では駄目なのか」と仕分け人が発言したことから世間的にも大いに反論を受けることとなった(私見だが、こういう技術の粋を極めるものについては2位では誰も評価もしない、するとすれば1位より相当安価であるという場合であるというのが経済社会の常識であると思われる)。今後、事業仕分けを継続するならばこれらの疑問を解消するようにしていかねばならないだろう。


 今回の事業仕分けは非常に国民に関心を持たせるという意味では成功しただろう。また、予算削減の目標であった3兆円に達しなかったことでは失敗だろう。ただ、多くの関与先の方の話を聞くと「予算を削減して縮小型経済では困る」というのが本音のようなので3兆円に達しなくて良かったのかもしれない。


 いずれにしろいくら予算を削減しても国債償還などでどうしても必要な資金額がある。借金は額面だからデフレになればなるほど実際の負担は増えるのだ。また、17ヶ月連続して現金給与額が減少したと厚生労働省の発表があった。政府にはそのことも充分に考えて次は早急かつ的確な経済政策を考えて欲しいものである。

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2009年10月27日(火) 08:00

 歴史的な政権交代となった民主党の鳩山政権に変わって早1ヶ月あまり。圧倒的な選挙民の支持をうけ成り立ったものの、当然ながら実際に政権運営となると個別には反対の声があがるなど上手く運営できないのが現状である。そんな1ヶ月あまりを振り返ってみた。


 民主党議員が何かにつけて言葉にするのが「マニフェスト」である。多くの大臣の就任に際しての挨拶でも「マニフェストの実現」という言葉が聞かれた。しかし人は自己に関係のある事柄以外には無関心であることが多い。したがって今回のマニフェストでも5項目に分かれているが、それぞれ興味のある項目だけ読んで他の項目は見た程度の方がほとんどであって、そのマニフェストの実現のために現行の政策が中止になったり、実施されたときの自分への影響を深く考えたりした人はほとんどいないだろう。代表的な例としては八ツ場ダムの中止や子育て応援手当の支給停止だ。前者はマニフェストに載っており、後者は載ってはいなかったがマニフェストの政策実現のために停止となった共に前政権の政策である。


 八ツ場ダムの中止に関しては多くの方は良く分からないというのが本音であろう。かくいう私も中止と継続とどちらが良いのか分からない。それは、そもそも何で判断すれば良いのか基準がわからないからである。経済効果なのか、公共性なのか、災害対策なのか、その他なのか。しかも、その経済効果は計る人物によって答えは違うし、公共性や災害対策も同じである。判断する一人一人の立場によって基準は異なるので、正しい答えなどないのである。それでも私が選ぶとすれば「中止」である。なぜなら、やはり計画そのものが50年も前のものであるということだ。


 公共事業の問題として長期間にわたる地域住民との交渉があげられるが、私はこれをなくすべきだと思う。もっと短期で区切って常に事業を見直す制度を設けるべきであろう。そして、地域住民への補償やその他も一切の条件変更をしないことである。交渉によって条件が変更するからより良い条件を引き出そうとする。それは当たり前の行為であるが、こと公共事業に限ってはそういうことは一切しないとすべきだ。条件交渉が可能であるからそれを持ち掛けて利権(利得)を得るような人物も出てくるのである(その代わり、事業計画段階から地域住民の代表および客観視できる第三者を含めて適正な条件設定を緻密にする必要はある)。今回の八ツ場ダムでも多数の事業を落札や随意契約で受注した100社あまりの業者に150人を超える天下りが発生していることなどはその顕著な例である(07年、長妻議員調査資料より)。それもこれも時間の経過が無視されているのと、根本的に計画見直しが行われないという体質の問題だと私は考える。民主党が私と同じ考えかはわからないが、いずれにしろもっとその中止理由を明確にし、そしてこの中止が今後の公共事業策定のあり方にどう影響するのかを説明すべきであると思うのだ。


 その他、後者の子育て応援手当の支給停止も同じである。全てにおいて説明が足りないと思われるのである。例えば支給停止について地方自治体が「一方的だ」と批難を浴びせているが、それもこれも地域に住む選挙民が選んだ政党が決めたことであるから停止にするほうが本来は望まれていて、民主党が実施するはずの「子ども手当」が実施されれば問題はないはずなのである。しかし、今まで実態的な意味での政権交代などが存在しなかった日本においては、一度決まった政策が急遽中止になるなど体験してこなかったので戸惑っているのだ。私は、政権交代の大きな本当の意味は「前政権の政策の批判」であるから、前政権の政策が中止になることも当然と思う。続けるならば政権交代の意味がないからだ。しかし、やはり経験のないことはしっかりと説明してもらわねば受け止められない。受け止められなければ結果として現政権の批判に繋がることになるのだ。


 仮に、民主党に批判が集まって4年後に自民党へ政権が戻ったとしても、また今と同じように政権交代による波紋は起きる。それが嫌なら政権交代など選ばず同じ政党に与党をさせ続けさせればいいのだが民主国家においてそれほど愚かな選択はないだろう。だから国民も官僚も地方自治体も『政権交代』とは何であるのかをもう一度良く考えて、政権交代で振り回されない生活行動や組織作りを考えていくべきではないだろうか。

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2009年09月14日(月) 16:58

 早いもので今年も9月半ばとなった。普通ならば多くの小中高校では2学期の2週間弱が過ぎそろそろ授業にも慣れた頃だろう。ところがその新学期が始まったとたんに新型インフルエンザによる学級閉鎖が相次いでいるという。初期に騒がれたような『強毒性』ではないが夏場を経て、流行の兆しが収まるどころか日に日に拡大していく新型インフルエンザはどれほどの脅威なのだろうか。


 過去のインフルエンザの流行記録で有名なのが1918年から19年にかけてのスペイン風邪である。全世界で感染者6億人(当時の世界人口は約18億人)、死亡者4〜5千万人という強烈なものでいわゆる『パンデミック(世界流行)』だった。1914年7月から1918年11月まで続けられた第一次世界大戦の終結の遠因になったとも言われている。なぜなら、足掛け4年半も行われた人類史上初の世界大戦でも死亡者は戦闘員・非戦闘員合わせて19百万人で、それを遥に上回ったからである。そのことからでもいかに強烈だったかが伺える。


 スペイン風邪以降も何度か世界流行が起きている。57年のアジア風邪(死亡者数200万人)、68年の香港風邪(死亡者数100万人)、77年のソ連風邪(死亡者数不明)などだ。抗生物質ができてからもこのように流行する原因は、インフルエンザウイルスの突然変異が起きるからである。それによりこれまでの抗生物質では対処しきれなくなるためだ。今回の新型インフルエンザが流行しているのもそれが原因と考えられているが、わずか0.08〜0.12ミクロン(1ミクロンは0.001ミリ)という目に見えない極小ウイルスがほんの少し変異しただけでこれだけの脅威がもたらされるなど想像を絶するものだと感じるのは私だけだろうか。


 新しいウイルスに対する抗生物質やワクチンは現在開発が進められている。通常で考えれば、100%とは効くわけではないものの十分に脅威を下げるだけのものがいずれ開発されるだろう。しかしまた、それに対抗するように新しく変異したウイルスが世の中に出てくる。なぜならウイルスはウイルスで生き残りを図っているからだ。そして、ウイルスは増殖するためには他の生物(宿主)の細胞を利用しなければならないのだから対抗していかねばならないのだ(ただウイルスの中にも宿主に有益な効果をもたらすものもあるという)。これも1つの生存競争ということだ。


 ちなみに人類とインフルエンザウイルスの生存競争の歴史は古いらしく、インフルエンザが流行したと思われる記録が古くは古代エジプトや古代ギリシャに見られるらしい。日本でも平安時代の書物に記録があるということだ。しかし、記録にはないだけで遥もっと昔から競争は続いているに違いなく「人類史=ウイルスとの生存競争の歴史」と言えるのではないだろうか。それほど長く付き合ってきた競争相手だ。いなくなっては何か悪い影響があるような気もする。できれば適度な距離を保って付き合っていきたいものだ。

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2009年08月31日(月) 15:28

 昨日、衆議院議員選挙が行われた。7月の麻生首相の解散宣言からおよそ1ヶ月半、これまでにないほどの白熱した選挙戦が各地で繰り広げられた。結果としては、野党である民主党が300議席超を獲得し、1955年の結党以来永らく続いてきた自民党が与党という体制が崩れることとなった。一体何が起こったのか。


 正式名称は自由民主党である。自由党(1950年結党。初代総裁は吉田茂)と日本民主党(1954年結党。初代総裁は鳩山一郎)が合同してできた保守派の政党で、結党後の最初の衆議院選挙(1958年5月22日投票日。選挙後は第二次岸内閣成立)で467議席中298議席を獲得し単独で過半数を超える一大与党となった。初代総裁は鳩山一郎だった。以後、前述もしているが六十年安保騒動を招いた日米安保条約調印をした岸信介、所得倍増計画を打ち出し高度経済成長に大きな役割を果たしたが大蔵大臣時代に「貧乏人は麦を食え」と発言した物議をかもした池田隼人、小笠原諸島・沖縄返還や初めて「非核三原則」を国会答弁で表明した佐藤榮作、日中国交回復を実現し「日本列島改造論」で一世を風靡したが後にロッキード事件で逮捕された田中角栄、など聞き覚えのある人物達が歴代の総裁である。それもそのはずで、単独であれ連立であれ与党第一党だった自民党の総裁はほぼ全員が首相を務めている。現在までで総裁で首相を務めていない者は河野洋平氏だけである。


 その自民党が野党へ転落することとなった。今回の野党転落が初めてのように言われているが、実際は1993年の衆議院選挙で新党ブームによって過半数を割り込んで野党に転落している(ただし、後に新党と連立を組んで与党に復帰)。しかし、その時とは明らかに様相を呈しているのが負けた相手である。93年の時はどこも単独過半数には満たなく、それどころか過半数に満たなかったものの自民党が2番目に議席が多かった社会党の3倍以上の議席を確保していたのだ(定数511。自民党223、社会党70、新生党55)。これでは負けても議員も選挙民も実感が湧かないだろう。実際にすぐに(連立)与党に復帰したのがそれを物語っている。だが、今回は負かされた相手である民主党が単独で308議席という全議席の64%を占める圧勝となった。そして自民党は何とか第2政党の地位は守ったもののその3分の1の119議席に留まるという歴史的な敗北となった。公示前が300議席だったので181議席を失ったことになる。さすがに今回は本当の意味での野党転落と選挙の敗北を悟ったのではないだろうか。しかし、その原因をしっかりと認識できているかが心配である。


 自民党は今回負けたが、次回の4年後にまた負けるかどうかはわからない。というより『4年後はまた自民党が復活するだろう』という予測をたてている選挙民が多いのではないだろうか。他国のような二大政党制を確立していくならば、今のところ民主党の対抗馬は自民党しかないのだから当然である。しかし、負けた理由が「自民党に対する積年の不信や不満がこの選挙に集約された」では理解できているとは言えない。また「これまでの実績や政策が十分浸透しなかった」も同じである。なぜ、積年の不信や不満があると分かっているならばそれを払拭するような政策を実行しなかったのか。本当に実績があれば当選したのではないか。仮にあったとしたら当選するほどの実績ではなかったか、既に過去のものとなったかではないか、などいろいろと言いたくなってくる。また、各個人の敗戦の弁で気になったのが「敗軍の将、兵を語らず」と言った人だ。この発言の後「兵を責めても」という趣旨の発言をしたが意味が違うのではないか。この諺は負けた武将に勝った武将が今後の戦術を訊ねたときに「負けた私が大事を語る資格はない」ということを言ったものだ。「人のせいにはしない」ではない。しかも既にそれを言う時点で人のせいにしているのではないか。良く考えて欲しい。


 いずれにしろ、新しく政権を担うことになった民主党が今回投票した選挙民全ての満足を得られるような政策を実行できるはずがない。政策の目玉の子育て支援でも『産みたくても産めない人を考えているのか』という意見があるように、何かをすれば必ず満足と不満足を生み出す。ましてや期待感ばかりが膨らんでしまって一年生政権党の不慣れな国会運営に失望を禁じえないこともあるだろう。そうして『自民党と変わらないじゃないか』ということにもなり、また政権党が自民党に戻ることになるかもしれない。しかし、せっかく動き出した選挙民の選挙行動が政治を大きく動かすという流れを止める必要はない。今回の選挙で現与党であっても政策に失敗すれば野党になってしまうのだという危機感が政治家に植え付けられれば、今より確実に良い政治家が増えるであろう。二大政党制を確立するかどうかに限らず、より良い政治家を育成する方法を放棄することはないのだ。


 今朝、民主党の鳩山代表が「ようやくスタートラインに辿り着いた」と発言した。その通りである。そしてそれは我々選挙民も同じであることを忘れてはならない。

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2009年08月17日(月) 11:09

週末の15日土曜日。64回目の終戦記念日を迎え、各地で戦没者慰霊祭などが行われた。しかし第二次世界大戦、日本では太平洋戦争と呼ばれる悲惨で途方もない数の犠牲者を出した戦争も体験者が平均寿命を超える今、後世にいかに伝えるかが問題視されるようになってきた。


ところで、この戦争が発生したきっかけは諸説語られている。単なる日本の帝国主義による侵略目的やアメリカの中国大陸の権益確保のための日本排除目的、その他だ。しかし、そもそも世界大戦であるからヨーロッパでの戦争も無関係ではない。そういったことでは、当時のアメリカ国民の孤立主義(ヨーロッパ大戦に参加しない)を転換させるために日本を使った、という説もありえなくもない。いずれの理由が真実で、いずれが嘘かは今更分かっても仕方がない。日本の先制攻撃により戦争を起こしてしまったという事実がある限り毎年終戦記念日には全ての戦死者に黙祷をささげ、また反省(自省)せねばならないだろう。


ただ、その“反省”が難しくなってきているのが冒頭の話である。しかし戦争を知らない世代がほとんどである現在、何を反省すれば良いかがわからないのだから当然のことだろう。では、なぜ「知らない」のか。それは単純に教えていないからである。私は現在の日本という国(の政治家や官僚)が過去に敗戦したという事実を伝えたがらないとは思わないが、義務教育期間中に教えることが少なすぎると思う。現在の国際情勢の発端ともなっている第二次大戦と、その戦争という行為の中で何が行われたかという事実をより深く伝えるべきではないだろうか。


第二次大戦時にはVTR技術が大幅に進んでおり、戦場で撮影されたフィルムが膨大に存在する。それらを包み隠さず、また勝手な憶測や想いを含んだナレーションなどをつけずに見せるだけでも大いに違ってくるだろう。正視に耐えがたい映像もあるだろうが、今は現実と見紛うくらい精巧に作られたグロテスクな映像が含まれた映画も存在する。見る年齢による多少の選別は必要だが、こういった教育は小さい頃からするからこそ心に残るものとなるはずだ。せっかく貴重な事実を写した資料を眠らせておくことはない。


戦後64年経って日本では風化してきている戦争の事実も他国ではそうではないかもしれない。日本では終戦記念日でも、例えばお隣り韓国では日本支配からの輝かしい独立記念日である。また42年に日本軍の侵攻によるオランダ支配から脱し日本軍政下へ変わっていたインドネシアでは、日本の敗北によって再度オランダ支配に戻るのを恐れて2日後の17日ではあるが独立を宣言した日でもある。その他にも、正式な日時は異なるが、日本の敗北を契機に独立を得た国は存在する。日本が戦争をしたことの良し悪しではなく、そういった一連の世界の動きを誘発した張本人である日本が忘れてしまうのはこのグローバル社会に生きていくにも良くないだろう。


戦争を知らない世代の他国の脅威への報復論も多くなってきているような気がする。しかし、やはり武力衝突は勝っても負けても損害が「零」ということはありえない。つまり誰かが死ぬということだ。10万人の軍隊の戦死者が1千人ならば確率100分の1だが、実際に死んだ人や遺族にとっては1分の1である。その1分の1の遺族の想いを風化させないためにも新たな伝承方法を検討していかねばならない。

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2009年08月10日(月) 15:10

暑中見舞いをいただいた。中に読者から、最近更新をしていないとの指摘があった。謹んでうけとり、早速ではあるが更新させていただいた。


今月末には国政を左右し、歴史的な選挙になるかもしれないという衆議院議院選挙があるが、その前に本来なら選挙の報道が多くなるべきマスコミの話題をさらった事件が2つも起きた。衆知の通り、著名な芸能人が絡んだ麻薬取締法違反事件だ。


事件の概要や各個人については、好悪もあるだろうし、このコラムで書くべきことではないので省略させていただくことにする。


いずれにしろ多くの報道がこれらの事件にさかれてしまい、大事な選挙について各政党のマニフェストの説明や討論会、その他の報道が減ってはいないのかもしれないが影は確実に薄くなってしまっている。このままでは気が付けば選挙日当日なんてことになりかねない。お盆休みも控えているが我々選挙民は各立候補者のそれらの内容をよく聴いて誰に投票するか考えておかねばならないだろう。


選挙の結果、どこの政党が与党となろうとも「(その後の)国政運営で結果が出なければどこに投票しても同じだ」という人もいる。そういう人は自分が立候補すれば良い。自分がしないのに他人ができないのを責めることはできない。また、もし責めることができるとすれば、立候補して支持を求めた者に、信じて(もしくは選んで)投票した者くらいだろう。そういう気構えで8月30日を迎えたい。


他の政党には申し訳ないが、今回の選挙は現与党の自民党と野党第一党の民主党の政権交代が注目されている。先に述べた事件でいえば、実績と自信でつい物議を醸す発言をする方を自民党とすれば、清純さと一般人に近い低姿勢を見せるのが民主党だ。
しかし事件では、そんなにも違う2人だったのに奇しくも同じ時期に同じ犯罪を犯してしまった。果たして選挙では、どちらを選択しても結局は同じく「日本の立て直しができなかった」なんてことにならなければよいが。

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2009年04月20日(月) 12:06

すっかり桜も散ってしまい新たな年度も4週目に突入となった。そろそろ新しい生活にも慣れはじめた頃だろう。中には思い描いていたものと違ってまだ戸惑っている方もいるかもしれないが、どんな所でも思い描いたものと微塵も違わないことはありえない。これから良い違いも悪い違いもいろいろと経験すると良いだろう。


ところで弊社は4月からの新入社員はいない(税理士試験が8月初旬なので8月末採用が多い)のでなんとなく新年度の雰囲気はない。だからその代わりと言ってはなんだが新しい試みを始めることにした。毎週月曜日に朝礼を行うこととしたのだ。これまでも週初めの朝に業務連絡の打ち合わせはあったが朝礼はなかった。なぜ今さら目新しくもない朝礼を始めることとしたのかと言えば『クレド』を作成したので社員全員で一緒に読むようにしたからである。


クレド(credo)とは「信条、主義」を表すラテン語である。英語の「信用(credit)」の語源ともなった。そのクレドは、現代では会社の経営理念などを表すものとして多数の会社で作成されている。経営理念などというと「なんだ。我が社は昔からある。」とお思いの方も多いだろう。そうそう昔の日本の会社、と言っては失礼かもしれないが、では社長や高名な書家が筆で書いたものを額縁に入れて飾っていたりしたものだ。しかしこのクレドはそういうものではなく極小さい冊子のようなもので個々人が携帯できるように作られるのが特徴である。そのクレドで有名なのが顧客サービスの頂点を極めているといわれている、かのリッツ・カールトンである。


私は残念ながらまだ泊まったことがないので試したことはないが、リッツの従業員の誰に聞いてもすぐにクレドが出てくるという。そしてそれは意外とボロボロになっているのだそうだ。なぜならクレドについて各社員が考え、行動するということが徹底して身についているために毎日読むのでボロボロになるという。つまり、仕事中に自分がどうすれば良いのか判断に迷った時などにこのクレドを読んで答えを見つけ出すということを繰り返しているのである。必要な時にいつでも読めることにより従業員一人一人が自ら考え、そして会社全体としては考え方と気持ちの方向性が統一されている。確かに明確な答えが書いてあるわけではないが顧客や仕事に対する考え方や気持ちの方向性は誤った方向に行かせないだけの効果はあるようだ。そうしてリッツは世界最高と呼ばれるサービスを提供することができるようになった。


昔ながらの「金科玉条」としたものと「身近」なもの。どちらが良いのかはわからないが、要するに従業員全員がきっちりと内容を理解して自分に取り込んで体現していくことが大事なのだ。弊社はたまたまクレド方式を採用したが、それができるのならば形にはこだわる必要はない。リッツのように全員に浸透するようになるにはとてつもない時間を要するであろうが『千里の道も一歩から』である。続けてやっていきたいと思う。

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2009年01月05日(月) 13:24

あけましておめでとうございます。
2009年も本日から仕事始めの方も多いだろう。我々も本日から始動である。本年も当コラムのご愛読を宜しくお願い申し上げる。


さて、今更ながら振り返ってみれば激動の2008年だった。年初はサブプライムローンの影響が多少はあったものの多くの企業が史上最高益を記録した。また、雇用面では各企業が意欲的に採用を拡大し、数年前までの就職氷河期が嘘のような「売り手市場」となった。さらに企業と共に個人も投資意欲が旺盛となり、株や金などが値上がりした。とどめは夏の北京オリンピック開催も起爆剤となり、中国を筆頭に製造・サービスなど多くの分野において需要が見込まれ供給不足となった。いわゆる好景気、それが2008年前半の経済情勢だった。


この好景気の時にも陰りが出てきていた。「資源高」である。石油を筆頭に、鉱物・農作物にかかわらず製造の基となる「資源」が異常に高くなってきたのだ。ただ、この資源高が需要に基づくものであれば問題はなかったのかもしれないが、実際は「投機マネー」の過大流入のためであった。それまではサブプライムローンで巨額の益を得ていた者がそのシステムの破綻と共に損を被り、新たな投資先に「資源」を選んだからであろう。結果として需要に基づかない価格の上昇は経済のバランスを狂わせ、経済を崩壊に導いたのは周知のとおりである。もちろんそれだけが原因でもないであろうが、その後の世界的な金融不安と企業収益の悪化、雇用の減少などを招いた責任はとてつもなく大きいだろう。


そんな不安が渦巻くなかで新たな年を迎えた人もたくさんいるだろう。確かに今回の経済ダメージは世界全体であるからなかなか立ち直れないかもしれない。「しかし」と私は思う。これはアメリカ型の金融資本主義が崩壊しただけなのだ。「利益を得れさえすれば良い」という考え方が崩壊しただけなのだ。「適正な報酬を」ということで成果主義が取り入れられたが年功序列は全て「悪」だったのか。「自由な職業選択を」ということで派遣が取り入れられたが終身雇用は全て「悪」だったのかを考えるべきであろう。これを機に、戦後奇跡的な経済復興をなした日本型の資本主義の価値を見直すべきなのではないだろうか。


今年中の劇的な景気回復は難しいかもしれない。また、どこからか救世主のようなものが現れて救ってくれることもないだろう。だからこそ、雇用する側もされる側も一致団結して一緒に乗り越えていくことが必要である。一言で言えば「連帯感」。それが今年のキーワードではないだろうか。

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2008年12月02日(火) 20:06

インド国内の複数の箇所で同時テロ(テロの定義はさておいて本文ではテロと表記する)が発生し多数の死傷者がでた。一番被害者の多かったチャトラパティ・シバージー駅では2人組の犯人が自動小銃を乱射しつつ、手榴弾も使って約65人を殺害した。なぜ、このような無関係の人を巻き込んだテロが起きるのか。


犯人はパキスタンに拠点をおく過激派組織の者だという。パキスタンといえば過去にインドと数回戦争をしている。また核開発でも競争関係にあって1998年にはインドが包括的核実験禁止条約が国連総会で可決された後に核実験を行ったことから、数日後に同じく核実験を行ったりと緊張状態にあった。しかし、ここ数年は両国の努力により緊張緩和が進んでいてパキスタン大地震の時にも被災者の救済に協力したりしていた。それが過激派には気に食わなかったのではないかと言われている。つまり、争ってくれていなければ存在意義がないということなのだろう。だから争いの種を撒いた。仮にそれが今回のテロ発生の真実の理由とすればこれほど馬鹿らしいことはない。


しかし“気に食わない”というのはくだらない理由かも知れないが一番やっかいな理由かもしれない。辞書で引いてみると「気持ちに合わない」「嫌に思う」(大辞林より)という意味だそうだ。つまり頭で理解するものではないので普通は自然発生的なものであり制御可能なものではない。もちろん、その気持ちが小さい時は制御できるだろうが、明確にそう思ってしまう理由に気づけなければ止めようがない。相手にしても理由が分からずに嫌悪されているのだから直しようがなく対処しようがない。結果、衝突もしくは離れるしかなくなる。人同士であれば広い地球のことだから離れればよいが国同士となるとそうもいかず選択肢としては「衝突」しかないのだ。今回の事件でインドとパキスタンがそういうことにならなければ良いと切に願っている。


先にも述べたように“気に食わない”は理由が分からないのだから回避しようがないが、回避する努力をすることはできる。それは相手の立場に立って考えることだ。「こうしたら相手(他人)はどう思うだろうか?」ということを常に考えて行動すれば少しは“気に食わない”は減るのではないだろうか。


そんなことを考えていると新幹線が京都に着き、隣の席の中年女性が降りるので席を空けた。ふと見るとその方は自分が食べたゴミを座席のポケットに入れたまま立ち去っていた。道中、なにやらノートパソコンで作業をされていたが、ちらりと目に入ったのが「TRMMを使った地球環境の〜」という何かの研究テーマのような文字。TRMMというのは熱帯降雨観測衛星のことだが、それを利用して自然環境の研究をして環境保全に役立てようというのだろうか。一瞬目に入っただけなので内容まではわからなかったので違うかもしれないが、後に来る人の座席環境を考えられない人がしっかりと地球環境を考えられるわけがないと思う。仮にそんな人に「地球環境のために」といろいろと言われたら“気に食わない”と思うのは私だけだろうか。

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2008年11月17日(月) 17:44

またまたUPが遅れてしまい、読者の方には申し訳ない限りである。3週間ぶりとなったがお読み頂ければ幸いである。その間には様々な政治的・経済的話題が発生した。多すぎて書ききれないが代表的なものを取り上げたい。


11月4日にはアメリカで史上初めての黒人大統領が選出された。日本人にはあまり馴染みのない人種差別が強い白人主体の欧米諸国では極めて異例のことだ。ただ、「人種差別を乗り越えた」というよりは1929年の世界恐慌以来の大不況と未曾有の経済的危機に直面して「劇的な変革」を求めた結果だと思うが、白人以外は大統領になれないというくだらない前例を打ち破ったオバマ氏の功績は大きいだろう。今後の手腕次第では白人以外の大統領が次々と生まれてくるかもしれない。
日本の首相と異なりアメリカ大統領は4年間の任期を必ず全うする。この4年間、順風満帆とは行かないであろうが強いリーダーシップを発揮し、再選を果たすぐらいになってくれれば差別を乗り越える地保を築くことができるに違いない。今の世界的不況から考えてもそうなっていただきたいものだ。


世界的不況への対策は日本でも行われている。最近良く耳にする『定額給付金』もその一環である。詳細は省くが、要は2兆円を日本国全世帯に一律に給付するものでおよそ1人あたり12,000円程度になるそうだ。内需の誘発と国民の生活不安を取り除くためのものであるようだが果たして効果はあるのだろうか。賛否両論あるようだが私としては「現金支給という手法は評価するが、給付額には不満と経済効果には疑問がある」というところだ。簡単にまとめると次のようになる。
・最も給付金を必要とする納税していない低所得者層にも支給されるので効果がある。
・1人12,000円は少なすぎる。せめて別の政策で推進している地上デジタルテレビを購入できる程度にすべきだ。
・現在の消費減退は将来の収入に対する不安も大きく影響しているため、一度のみの給付では消費意欲は湧かない。
財源問題もあるためになかなか難しいところだが、実施するならば中途半端は良くないと思う。総選挙を経ない与党の中での2度にわたる党首交代で首相となった麻生総理だが、オバマ氏に負けじと強力なリーダーシップを発揮して、ぜひとも様々に再検討していただきたいものだ。


その麻生首相の言動の中で珍しく気になったのが「時価会計の見直し指示」である。世界的には既に始まっており、時価評価対象の金融商品などを絞り込んだりしているようだ。昨今の金融不安による株価の大暴落が証券を保有している企業の業績をますます悪化させて、更に株価を押し下げるという負のスパイラルを避けるため時価評価を凍結したり、対象を絞り込むことで対処しようというものだ。一会計人としては証券などの時価評価は投資判断を行ううえで必要だとは思うが、そもそも一般企業がそれほど巨額な証券を保有していることが問題ではないかと思われる。なぜなら、現在「負のスパイラル」が起きているのであればつい昨年までは「正のスパイラル」が起きていた可能性があるからだ。
つまり、証券を保有している企業はその保有証券を時価評価することによって自社の業績以上に良い財務評価を得、それを見た投資家がその実体のない評価に合わせて投資を行うことによって更に高評価を得る。そしてその高評価を得た企業の証券を保有している会社もまた業績以上の評価を得る、ということが延々と繰り返されてきた可能性があるのだ。それは実体のないバブルの形成に他ならない。
時価評価は適正な投資判断に必要。しかし無用な時価評価は良いどころか害毒ですらある。その問題を解決するには会計手法を中心に、一般企業の投資規制も含めて検討していかねばならないだろう。


いずれにしても今回の世界的大不況は「人為的」なものであると言える。資本主義経済が始まってまだ300年程度である。初期の頃は短期的に恐慌を繰り返していたが、勉強と施策により少しずつ長期的な周期へと変わっていき、つい先日までは1929年の世界大恐慌のような凄惨な事態は避けられると考えられていた。それが間違いだったことが図らずも証明された。実体のない経済発展と富の一部集中が結果的に巨大な反動を生んだこと。これをまた勉強として取り組んでいくしかない。

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2008年10月21日(火) 15:12

前にUPしたのは、ここ数年の中国の目覚しい経済発展の集大成とも言える北京オリンピック開催中の8月中旬だった。早いものでそれからすでに2ヶ月が経過した。過ぎた時間はあっという間であったが、その間に世界を襲った激震は当時には想像すらできない、仮にできていたとしてもそれを遥かに上回るほどのものだった。


アメリカの成功の象徴と言われてきた米証券第4位のリーマン・ブラザーズが9月15日に破産申請をした。負債総額は6130億ドル(約61兆円)という史上最大規模の倒産だ。きっかけになったのは昨年来金融業界を悩ませているサブプライムローン問題だが、直接的な引き金はリーマン・ブラザーズの身売り先として考えられていた米銀行第2位のバンク・オブ・アメリカがリーマンではなく米証券第3位のメリルリンチの買収を決めたためだ。しかもこの2社に限らず、第1位のゴールドマン・サックスと第2位のモルガン・スタンレーも通常の銀行持ち株会社に移行したため、従来の銀行業務と異なり「投資銀行」として金融工学を駆使して金融界をリードしてきた手法は、従来からの銀行に引き取られる形で終焉を迎えたのである。


単に各社が破綻しただけならば、会社毎の責任であり自己責任でもある。高みの見物でもいいのだが、それが世界恐慌を引き起こしかねないとなるとそうは言っていられない。これら一連の動きの後、NYダウ株式市場では11500ドルが8850ドルに下落し、日経平均は13000円から9000円へと下落した。アメリカ、日本に限らず世界中の株式市場で大幅な下落が見られている。それが実体経済に大きな影を落とし始めているのだから無視はできない。


実は、株価が下落したからといって直接実体経済に影響があるわけではない。極端に言えば、全く影響を与えない可能性だってある。しかし、複雑に絡み合った経済ではやはり影響が避けられない。株価が実体経済に影響を与えるのを単純にいえばこうである。


まず株式を保有している企業は業績が悪化する。業績が悪化するのでコストダウンを図るため、雇用を減らしたり給料を下げたりする。それにより、一般の購買力が減少し商品市場が冷え込む。ここで実体経済に影響が出てくるといえるだろう。現在の状況は続きがあって、売れないとまた業績予測が悪化するので株価が下がり企業の業績が下がり雇用が減る、という悪循環に入っているのだ。これが際限なく続くと「大恐慌」となる可能性がある。


現段階では、ぎりぎりのところで踏みとどまっているというのが大方の判断だろう。各国の政府や金融機関が連携して危機回避を図っているので過去のようにずるずると恐慌に陥ることはないと思うが、劇的な回復も望めないだろう。何と言ってもその負の総額が大きすぎるのである。それは今までどれだけリーマン・ブラザーズなどが富を吸い上げていたかの裏返しだろう。


破綻した時の最高経営責任者のファルド氏は米議会の公聴会でここ8年間で4億8千万ドル(約480億円)の報酬を得ていたことを「正当だと思うか」との問いに「かなり大きな額だ」とは認めたが不当だとは発言しなかった。また、今回の破綻の責任についても外部経済環境が要因だという趣旨の発言をしたようだ。つまり、自分の責任を認めず謝罪もしないということらしい。謝罪については「したからといって実際的にどうにもならないから意味がない」「間違いを認めることになるから損をする」という意見も海外、特にアメリカには多い。その意見は正しくもあるが「謝罪=間違いを認める」ということであるならば、今回はなおさら謝罪がいるのではないだろうか。世界的な金融不安を煽る大きな原因ともなり、自国の政府に多額の税金をつかわすきっかけとなり、顧客や株主に深刻な損失を与えたのだ。それが間違いではないというのであれば何が間違いとなるのか教えて頂きたいものである。


「年収300万円時代を生き抜く経済学」などの書籍でもお馴染みの森永卓郎経済学教授が、あるテレビでのこの一連の件について『金融工学を発見したから儲かったのではなく、儲かることの後付け理由として金融工学が発達しただけ。』という趣旨のコメントをしていたのがとても頷けた。つまり、儲けることが前提であり手段は問わないがそれでは体裁が悪いので理論武装したというのが本質だったのだろう。また、森永教授はあるコラムに次のように述べられていた。


『わたしはいま、「まじめに働こうキャンペーン」を一人で始めたところである。人間というものは、汗水たらしてモノやサービスを作りだすことに価値を見いだすべきではないだろうか。少なくとも、金を右から左に動かすことだけで、人の作りあげた付加価値を奪ってはいけないと思うのだ。』(日経BP社 SAFETY JAPAN コラムより)


私もこれが永きに渡って経済成長を支える本質のような気がするのである。

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2008年08月12日(火) 22:57

先週の6日水曜日と9日土曜日は、広島と長崎の「原爆の日」だった。それぞれで平和祈念式典が行われ、犠牲者の冥福を祈ると共に平和の誓いを新たにした。


平和祈念式典は戦後すぐの1947年に「広島平和祭」として初めて開催された。当時の市長である浜井信三氏は、平和宣言が当時占領軍であったGHQの検閲にかからないように気を使ったらしい。原爆反対などは明確に言えなかったようだが、それでも原爆による戦争が世界を壊滅させ、文明を滅ぼすものとして否定し、被爆者である自分たちこそが世界平和を真に希求するものとして平和宣言を行った。それから61年たった今でも原爆は無くならないが、戦争で一度も使われていないのはまだ救いというところか。


翻って今年の福田首相の式典での挨拶はどうか。昨今、国会議員からも核保有について前向きな発言があったりもしているので言葉を濁すかと思ったが「非核三原則を堅持し」とはっきりと核保有を否定したのは、優柔不断と言われている首相としては評価に値するだろう。ただし、今後の政策運営でその言葉を実現するように努めるかどうかが重要ではあるが。


長崎の原爆の日の前日に世界平和の象徴でもあるオリンピックが北京で開幕した。開会式には史上最多の204の国と地域の選手が参加し、華々しく式典が執り行なわれた。しかし、一方で開催国である中国では開幕を前後して爆破事件や(中国政府から見ての)テロが多発し、必ずしも平和とは言えない政治状況である。また、今回オリンピックに参加しているロシアとグルジアも10日に戦闘状態へと突入した。共に民族問題やそれに伴う自治の問題での衝突のようで簡単には終結しそうにはないが早く終結することを祈るばかりだ。


ある識者が戦争の形が変化してきていると言っていたのを思い出す。遥か過去は、戦争はあくまでもその国の指導者などが他国の富を手に入れるために行われるものであった。そしてその戦争に動員される兵士には否応はほとんどなかった。しかし、近年になって戦争が国力を総動員しなければできないものとなった。そのため国民がある程度戦争参加への自由度を有するようになるにつれて、国力を総動員するためには「イデオロギー」が必要になった。つまり「他国の富を奪うために」ではなく「他国は悪で、自国は正義だ」というものに変わってきたのだ。それを国民にその意識を植え付けねばならず、結果として偏った教育や間違いを認めない国家指導層ができてしまったのだ。それが、より戦争の原因を曖昧模糊としたものにしてしまったというのだ。果たしてそれが正しいかどうかはわからないが、戦争がいつまでたってもなくならない理由の一つであるようには思える。


また、この時期に必ずといって行われるマスコミの戦争を知らない世代へのアンケートなどでは第二次世界大戦や原爆の記憶は風化どころか既にフィクションになりつつある。このままでは世界唯一の被爆国としての平和への想いが世界に伝えられなくなるのではないだろうか。そう考えたとき、先に述べた広島平和祭で浜井市長が述べた宣言文を思い出した。
「けだし戦争の惨苦と罪悪とを最も深く体験し自覚する者のみが苦悩の極致として戦争を根本的に否定し、最も熱烈に平和を希求するものであるから。(中略)この地上より戦争の恐怖と罪悪とを抹殺して真実の平和を確立しよう。永遠に戦争を放棄して世界平和の理想を地上に建設しよう。ここに平和の塔の下、われらはかくの如く平和を宣言する。」

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2008年07月28日(月) 15:57

全国的に梅雨も明けて夏本番である。毎日真夏日が続き、各地で今年の最高気温を更新し続けている。そのさなか、避暑もかねて私が時々参加させていただいている勉強会のメンバーと共に北海道へと行ってきた。


北海道は12年ぶりの訪問となった。前回は2週間かけて道央を車で東西を横断したが、今回はそのような長い休みは取れなかったので、函館から洞爺湖を経て富良野・旭川という移動であった。しかし、これでも十分長距離の移動で今回も車だったが少なくとも500キロメートルは走破した。以前と同じく北海道の雄大さを実感させられる旅だったが、前回とは大きく違っているところもいくつかあった。


まず、外国人観光客が非常に多くなっていることである。どの観光地に行っても大型バスが何台もきていたがそのほとんどが日本人観光客ではなくアジア系の外国人観光客だった。また、大きなホテルでは必ず中国語などの案内がなされており、スタッフにも中国系の方(名前でしか確認してないが)が多数おられた。これは外国人観光客が増えたのでホテル側として宿泊してもらいやすいように配慮したのだろうが、以前はほとんど見なかったと思う。その配慮こそ、日本人観光客が減少しつつある地方観光地にとって正に重要な顧客であることの表れなのである。


周知のように今は中国が急激な経済成長を続けている。そのためかアジアからの海外旅行者が急増しているようだ。北海道経済部観光のくにづくり推進局による「外国人来道者数の推移」によれば9年前の平成11年には約20万人であったのが平成19年には約71万人と3.5倍にも増えている。中でもアジア各国から約63万人と全体の90%近くを占めており、重要な顧客となっているのが一目でわかる。現在は台湾からの来道者が27万人以上と非常に多いが、今後は明らかに中国からの来道者が増えるだろう。何しろ10年ほど前まではおよそ1000万人だった海外旅行者が2004年には2000万人を超えたという。まだまだ増え続けると予測される中国人旅行者の「インバウンド(訪日外国人旅行誘致のこと。国土交通省が中心となって2003年から実施しているビジット・ジャパン・キャンペーンで使われ始めた言葉)」に対し、しっかりとした戦略をもって取り組めるかが成功の鍵となるだろう。


そのインバウンドが成功したと思われる一例が富良野の「富田ファーム」だ。ここはラベンダー畑で有名なところなのだが、私が前回訪れた時はそれほど盛況ではなく施設も少なかったように思う。しかし今回は最盛期だったためか早朝から埋め尽くすほどの入園者と、どれほど先まで続いているのかわからない入場待ちの車列ができていた。これほどまでに客を惹きつける理由の大きな1つが「入園無料」ではないだろうか。駐車料すらとらないのに見事で広大なラベンダー畑と飲食、土産などの多数の店舗と体験施設は旅行業者としてはツアーに組み込みやすいのは間違いない。開園当初は一筋縄ではいかなかったようだが、今は努力が報われたのではないだろうか。


外国人観光客が増加し日本国内にお金を落としていただくのは有難いことである。しかし一つ言っておきたいのは、外国人と一口に言っても様々な国の方がいる。また、日本人観光客もいる。一番多く来てくれる者に対して最大限の配慮をするのは当然だが、それだけに配慮し他者に配慮が欠けるとその方たちは来なくなってしまう。難しいことではあるがどの国の方が来ても、異国人同士が気持ち良く過ごせるように工夫を凝らす必要があるのではないだろうか。これから真のインバウンド戦略が試される。

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2008年07月14日(月) 16:21

大分県の県教委義務教育課参事が教員採用試験や人事で金品を受領して便宜を計ったとして収賄容疑で逮捕された。金品を贈ったのは同じく県教委参事や小学校校長などだ。教育現場の責任者たちが揃って不正を繰り返していたこの事件は日に日にその深刻さを増している。


一般的な人にはわかりづらいと思うが「教員免許」と「教員採用」は別である。文部科学省のHPに掲載されているが教員免許は「大学等において学士の学位等の基礎資格を得るとともに、文部科学大臣が認定した課程において所定の教科及び教職に関する科目の単位を修得」し、教員資格認定試験に合格することで取得することができる。教員採用は、都道府県や政令指定都市自治体が各自が運営する公立学校のために教員を採用する試験である。一般の公務員試験と異なり、教育委員会が採用試験を行う。理由は教育の独立性を保つためらしいが、今回はそれが裏目に出た格好となった。


ちなみに、教員採用試験は筆記試験の点数だけで合否は決まらない。一応の足切りラインはあるようだが、それを超えれば人物評価などで合否が決まる。今回はその合格ラインに達していない者を口利きで加点して合格させたというのだから論外だが、実際に筆記試験の点数が低い者が採用され高い者が落ちることもあり得るのだ。それはなにも一部に限ったことではなく文部科学省が教育の基本方針の見直しの過程で推薦していることなのである。


平成8年に文部科学省から全国の都道府県・政令指定都市教育委員会あてに送られた『教員採用等の改善について(通知)』には採用選考方法について「様々な資質能力や体験を持つ人材が求められており、必ずしも知識の量のみにとらわれず」「筆記試験の成績を重視するよりも人物評価重視の方向に採用選考の在り方を一層移行させ」(抜粋)などと書かれている。また、具体的な評価の在り方について「スポーツ活動、文化活動、ボランティア活動や大学等における諸活動の実績を評価する選考方法の改善を一層進める」とあり、その中に受験者の当該実績関係者からの『推薦状も選考の判断資料とする方法も考えられる』とあった。先に述べた不合格者を合格させる口利きは論外だが、推薦状を考慮するとなるとその線引きが非常にデリケートな問題となるのではないだろうか。


身近な例では、我々税理士も免許取得のために推薦状のようなものがある。推薦状ではなく「在職証明書」だが、当該免許申請者が税理士補助業務を2年間行ったことを証明する書類として提出が義務付けされている。それには雇用主欄に実印の押印と印鑑証明を添付してもらわねばならないのだが、中には2年を経過してもそれを認められず、証明を断わられることがあるという。押印のために金品を要求されたとは聞いたことはないが、断られることがあるならば、そうならないために自発的に贈る者も出てくるであろう。同じことが推薦状にも言えるのではないだろうか。単純に言えば、推薦状を書いてもらうために金品を贈るということが起きないとも限らないということである。それが口利きとどう違うというのか。


バブル崩壊以後(崩壊以前からかもしれないが)、学力偏重社会による詰込み型教育と過度な受験戦争から創造的思考を養うためのゆとり教育への方針の転換、それによるのかはわからないが国際的学力の低下などによるゆとり教育の見直しと学習時間の増加、その他で教育現場は混乱している。そして今回の問題によってさらに現場は混乱することだろう。可哀想なのは子供もそうだが、本来の実力で合格した教師もである。周りには疑惑の目でみられ、揶揄されれば教育に対する真摯な気持ちも薄れてしまうというものだ。早く現場から不信の種が消えることを祈りたい。


慶応義塾創始者である福沢諭吉は「独立自尊」という言葉を好んだという。『心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云ふ』。この意味は、独立の気力がないものは必ず人に依存する。依存する者は必ず人を恐れる。人を恐れる者は必ずへつらう。そして時に悪事を働いてしまう。独立心の欠如が結果として不平等と不自由を招くというのだ。大分県に限らず教育委員会のメンバーには、この言葉と意味を教育せねばならないのかもしれない。

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2008年07月07日(月) 19:14

今週から洞爺湖サミットが開催される。北海道の洞爺湖町で行われるこのサミットは【安全・静穏】【コンパクト】【環境との共生】をコンセプトに実施されている。そのコンセプトをもとに世界の主要国と言われている8ヶ国が集まって行われるこの会議が今後の世界にどう影響するのだろうか。


そもそもサミットはジスカール・デスタン仏大統領(当時)の提案により、1975年11月にパリ郊外のランブイエ城において、日、米、英、仏、独(西独)、伊の6ヶ国によって開催されたのが始まりだ。この国々が選ばれたのは「工業先進国」と「民主主義国家」であることだったからである。翌年にはカナダが加わり、冷戦終結後にはロシアが参加するようになって現在の8ヶ国となった。実は、開催のきっかけは1973年に発生したオイルショックと続く世界経済不況である。その後、世界経済は持ち直したのだから効果はあったのかもしれない。現在、歴史的な原油・資源高が発生しているが、それについてどう対処していくかをしっかりと決められ、将来成果があったと言われる会議であってもらいたいと思う。


しかし一方ではG8が独自に世界経済全体について様々なことを決定(ただし、G8での決定事項はG8内でのことであり他国に法的拘束力はない)してしまっているので、それに対する反発も各地で起きている。テロもその一つで、最近では2005年の50人以上の死者を出したロンドン地下鉄爆破事件が思い出される。また、テロに限らず様々な団体から圧力がかけられているのも事実である。その目的は発展途上国の貧困を解消するように求めたりといった正しいと思われるものだが、それが圧力をかけて実行を迫るというのは何ともすっきりしない話だ。


ちなみにG8全体での人口は約11.6億人である。もっとも多い国がアメリカで3億人、一番少ない国がカナダで3250万人となっている。現在、目覚しい経済発展を遂げつつある中国が約13億人(外務省発表)であるから8ヶ国合計しても敵わない図式となっている。中国が参加していない状況でどれだけG8が影響力を維持できるのかが今後の存在意義の鍵となってくるのではないだろうか。


万一、中国がG8に参加することになると全体で約25億人・全世界人口の40%超を占めることになり、さらに大きな影響力を有する会議となるだろう。現在の複雑なグローバル経済においてはある程度の指標やルールを制定できる会議の存在は必要だと思う。そうでなければ、今後もサブプライムローン問題のような事象が繰り返されるように思われる。しかし、先にも述べたとおり反発する者も多く存在する。そして強大な影響力を有すれば反発する力も強大になることが往々にしてある。他者の反発を抑えつつ、影響力を維持するには公平・中立なものとなる必要があるのではないだろうか。今後のG8がどうなっていくのか、それも注目しておきたい。

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2008年06月16日(月) 16:15

14日の午前8時43分ごろ、岩手県内陸南部で震度6強、マグニチュード7.0の地震が発生した。阪神淡路大震災にも匹敵するこの地震で山は崩れ、道路は寸断され、大きな被害をもたらしている。現在のところの人的被害は死者10名・重軽傷者数百名となっているが亡くなられた方には心からご冥福をお祈り申し上げる。


ところで、仕事場で常にラジオを流している会社は多いことと思う。弊社も常に流している。そのラジオでこの4月1日より「緊急地震速報」が導入された(在京民放各局)。テレビでは既に導入されていたがラジオの導入が遅れたのは、視聴者の多くが車の運転中であるので急に放送を開始するとその放送自体が事故を引き起こす可能性があるとして、導入前に周知徹底を図るためだったらしい。


緊急地震速報の仕組みとは早く伝わる小さな揺れのP波をとらえ地震の規模や震源地を予測し、後から来る大きな揺れのS波が到達する数秒前から数十秒前に発表するものだ。そのわずかな時間で各人が対処することによって被害を軽減することができるものと考えられている。確かに、地震で怖いのはやはり火事である。この放送を聞き、各自が火元を消したりすることは可能なはずである。それだけでもかなりの被害縮小にはなりそうだ。


しかし緊急地震速報の仕組みでもわかるように、現在の技術では地震が発生する前にわかることはない。あくまでも震源地と自分のいる地点の距離やその地震の性質でわずかな時間、先に知ることができるだけである。したがって、速報を受けた時に対処方法を思い出していたのでは間に合わない。また、仮に対処したとしても車を運転中などの場合は一定のルールがあるので、そのルールに則らなければ意味がない。なぜなら、それぞれが違った対処をとれば被害が減るどころか事故などで被害が拡大してしまいかねないからだ。


私もそうだが多くの人は『咽喉もと過ぎれば熱さ忘れる』というタイプだろう。しかし、人類が大地に足をつけて生活せざるを得ない以上、地震という災害から逃れることはできない。普段は忘れていても「緊急地震速報」を聞いた時には状況にあった対処をできるようになる程度には備えておきたいものだ。各人の適切な対処、それこそが被害を減らすのに最大限の効果を発揮するのではないだろうか。

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2008年06月09日(月) 14:02

およそ一ヵ月半ぶりの原稿となった。長きに渡って休稿してしまい申し訳ない。今後はまた毎週続けられるようにしていきたいのでご愛読をお願いしたい。


さて今週末、私事だがある試験を受けてきた。その試験とは「法科大学院統一適性試験」というもので、法科大学院へ入学を希望する者がこの試験を受けて、その点数をもって各大学院で受験する基礎とするものだ。要はセンター試験のようなものと思えば良い。実施は「財団法人 日弁連法務研究財団」が行っている。ちなみにセンター試験でも似たようなものがある。こちらは「独立行政法人 大学入試センター」が行っている。


弁護士の資格試験制度などが変わり、それに対応するために各大学に専門の大学院として2004年に法科大学院が創設された。それまでは、大学の法学部などを出たものが独自に司法試験を受験していたのだが、裁判の迅速化のため弁護士数(法曹界)の人員を増加させるために取り入れられた。大学院で専門的な勉強をすることにより、司法試験合格者を増やそうということだ。当初、卒業生の合格率を当初7〜8割程度見込んでいたのだが実際は卒業初年度で5割弱、2年目で4割強と想定よりはるかに低い。教育課程や各大学院の教育レベルなど見直さなければならないところは多々あるようだ。その前に、本当に法曹界の増員は必要なのかということについての議論も大いにされるべきだとは思うが。


法曹界の変化といえば、もうひとつ大きな目玉が来年より開始される「裁判員制度」だ。詳細は最高裁判所のHPなどでも良く紹介されているので省くが、要は「刑事裁判の審理に出席し,証拠調べ手続や弁論手続に立ち会った上で,評議を行い,判決を宣告する」ことだ。それが一般市民から無作為抽出により選ばれた者がするのである。果たして正しく機能するのであろうか。


一般市民が「無能」だとは思わない。何がしか社会を形成する一翼を担っているのであるからそれぞれ能力は持っているであろう。しかし、はっきり言ってしまえば「無知」であることは否めない事実であると思う。


適性試験を受けていて思うのは「様々な考え方の手法を知らない」ということである。試験には4つの分野がありそれぞれ「論理的判断力」「分析的判断力」「長文読解力」「表現力」を測る問題が出される。そして、それぞれは小中高校などでの基礎学習と過去の経験とで解答できないこともない。しかし、やはり解答にはテクニックというものが要る。そのテクニックを用いることによって正しく問題を読み解くことができ意味を把握できるのだ。適性試験で必要とされるのだから実際に裁判等の際に必要とされる能力もこのテクニックなのだろう。あくまでも適性試験は弁護士になるためのものだが、同じように判決の一翼を担う一般市民がそのテクニックを知らずに果たして裁判の場面で正確に状況を把握し、自分の解答に辿りつけるのであろうか。私はそのテクニックがなければ「全く分からない」ということも十分あり得るのではないかと思う。そして一番怖いのは内容が理解できないまま、周囲には言えず、周りや感情に流されて解答を出してしまうことである。知らないが故の解答による誤った判断。それは判断した側も判断される側も不幸である。行政にはそうならないように検討してもらいたいものだ。

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2008年04月21日(月) 17:21

4月も下旬になり、そろそろGWの足音が聞こえてくる頃だ。今年は来週が29日の火曜日だけが休みなので特にGWとも言えないが結構長期休暇にする人も多いらしい。確かに長期休暇が許される雰囲気ではあるが、実際にはほとんどの中小企業は暦通りで休暇を取れるのは大企業のみだろう。これも今流行りの「格差」の一つと言えるだろうか。


格差はいつの時代でも存在した。特に歴史上長くあったのは身分格差である。例えば、日本では江戸時代の「士農工商」、明治時代の「華族」といったものだ。これらは原則身分間の移動はなかった。つまり、武士の子は武士、農民の子は農民と決まっていた。それを破ったのは時代の変化である。


近代史のなかでも大きな変化をもたらしたのは「産業革命」だ。ヨーロッパより始まったこの産業の機械化は、それまでの生産能力を質・量ともに飛躍的に上昇させた。結果、莫大な富が生産者に集まるようになり、それに伴いどちらかというと低い身分とされていた工人の地位を飛躍的に上昇させた。


作る量が増えれば、必然的に「売る」ということが重要になってくる。そうした中で商人の重要度が増し地位も向上した。今はまさに商人の時代なのかもしれない。ただし扱う商品は時代とともに変化し、過去多く扱っていた「現物」だけではなく、今は「デリバティブ(金融派生商品)」が大きな金額を占めるようになった。ある新聞の記事によればデリバティブの取扱総額(残高)は5京円にものぼるという。日本のGDPが2004年で500兆円程度($1=108円、4兆6千億ドル)というので如何に途方もない額かということがわかる。この途方もない額ゆえに昨年来のサブプライムローンによるダメージからも立ち直ることが難しくなっているのだ。


デリバティブ取引とは実物や現物を取引するのではなく、簡単にいえば「権利」を取引するものである。具体的に言うとあらかじめ決めた期日に現時点で決めた条件で売買を約束する取引だ。したがって、売る方は市場売価が条件より低くなっていれば得したことになり、買う側は損したことになる。単純にはこうだがこの権利の取引が複雑多数に組み合わさっているのが今の金融市場であり、その規模が5京円にのぼっている。あくまでも権利のやり取りなので5京円というお金が実際に動いているわけではない。ましてや、もともと権利なので形のあるものではない。そういったものの取引が実体経済をはるかに超えた金額でやりとりされていることは歴史上類がなく、いったい如何なる結果をもたらすかは誰にも予測できない。いつの時代もバブルは弾けてからバブルと気づくが、このあまりにも桁はずれな金額のバブルが弾けた時、はたして世界の経済システムは耐えることができるのか。私ははなはだ不安だ。


しかも、このような金融商品を購入できるのは一部の金持ちだけである。本当かどうかはわからないが、この金融資産のほとんどもアメリカの大財閥であるロスチャイルドとロックフェラーが握っているという。資本主義は自由競争というが、ここまでくると金持ちが金持ちを生み出す仕組みを作り、もはや一般市民が何かをできるという範囲を越えてしまっているのではないか。金を持っている者が、新たな金を生み出すシステムに参加でき、持たない者はいつまで経っても参加できない。そういう自由競争ではない貴族的資本主義が巡ってくるのかもしれない。

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2008年04月07日(月) 21:46

4月も1週間が過ぎ、多くの学校で新学期がスタートしたことだろう。先週末は駅の定期券売り場で定期を買い求める学生らしき人達の姿が目に付いた。東京ではちょうど桜の盛りも過ぎ、花びらが舞い散る春らしい気候の中での新しいスタートとなったことだろう。


さて、先週も書いたが東京では週末がちょうど桜の見ごろで、天気も良かったことで非常にたくさんの人出があったようだ。特に平日の夜は会社単位で花見を行った人も多かったようだ。その『花見』について週末ある報道系番組で特集が組まれていた。


特集の内容は「新入社員の初仕事で花見を企画・実行させる」というものだった(中には入社2年目の場合もあった)。それらの会社の多くは新興企業で六本木のミッドタウンなどにオフィスを構えるIT関連の会社であった。なぜ、そのような先進企業が会社で「仕事」として花見を企画・実行させるのか。それについての経営者や上司の回答は『学生の遊び感覚ではなく仕事として如何に人に来てもらえる花見にできるのか』『決められた期日まできちんと企画できるのか』『(人を納得させられる)見積書の書き方を学ばせる』『会社の団結力を高めるため』など様々であった。また、『誰が(宴会などで必ずある)嫌な仕事を進んで行っているか、誰が人を惹きつける行動をしているのか、誰が場を盛り上げているのかを見ている』というのもあった。それらを聞いて共通していると思ったのは「人を観る」ということであった。もちろん直接的な査定という意味ではなく「人物像を把握するために」ということだ(もちろん、単純に花見を楽しみたいということもあるだろうが)。


放送では、最初はただのレクリエーションとして捉えていた新入社員が会議のオブザーバーである先輩社員に「仕事の一環」であると注意されたりしつつ、自分たちでどうしたら良いのかを考えていく姿が映された。120名分の場所を確保するために入社早々退社後現地に見に行き、前日の夕方にその日の場所取りをしている人達に終わった後を譲ってもらうよう交渉したり、前年より多くの人に来てもらうために如何に食事を魅力的かつ見積りが通るようにするかを悩んだり。終わって先輩社員や上司に褒められて喜んだ者や達成感が得られて満足したという者などもいたが、一番印象的だったのは『(花見の企画・実行で学生から社会人へ)変われたような気がする。変わらなければならないのだと思った。』という感想だった。学生や友人同士ではなく、社会人としてする場合は“たかが花見”だが“されど花見”だと実感したということだろう。


特集が終わりスタジオにカメラが戻ったとき、同じくそれを観ていた女性アナウンサーがこう言った。
『何事も全力投球でしなければならない。それは必ず誰かが見てくれている。』

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2008年04月01日(火) 18:59

桜の開花も始まり暖かかった週末、あちこちで花見を行った人も多いのではないだろうか。東京ではあいにく日曜日が雨だったがまだまだ今週いっぱい見頃が続くそうなのでまだの人はぜひ行ってみられてはいかがだろうか。


さて、今日で3月も終わりである。年度方式が多い日本では4月が新しい始まりとなる。その代表的なものが新入生や新入社員である。学校がまだ始まらないのでまずは新入社員が注目されるが、今年はどのようなタイプが社会に出てくるのだろうか。


マイコミフレッシャーズ(衙萋コミュニケーションズの社会人準備応援サイト)によるインターネットアンケートによれば、新社会人生活に不安を抱えている人がわずかに半数を超えているという。それぞれ不安の中身は様々だが中には「毎日起きられるか」や「体力的にもつか」というのが4割近くもある。まずは『規則正しい生活ができるか心配』というところか。


ここ数年が売り手市場だったことを証明するのが「就職活動をやり直したいか」という項目で「非常にそう思う」が6%であったのに対して「まったく感じない」が34.2%もあったことである。「どちらかといえば感じない」も含めると7割以上が内定先企業に満足しているという回答である。就職氷河期とは打って変わって充分吟味して選べたことが分かる。「愛社精神がある」「定年まで働きたい」がそれぞれ8割以上、6割以上と高いのも頷けるが入社前にてわかるものではないだろう。期待が大きすぎて幻滅しなければいいが、果たして実際の同アンケートでは入社数年で大分変わるという結果が出ている。


愛社精神はもちろん、愛国心も強要されるものではない。強要ではなくても刷り込みすればそれは洗脳であって、これも言語の意味からかけ離れることとなる。そのかけ離れたことを行おうという意思の表れなのか、今年の学習指導要綱に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛し」と愛国心に関して付け加えられた。自国を愛することは、自国に益をもたらすよう努力するモチベーションとなるであろうから大切ではある。しかし、前述したとおり強要されるものではなく、ましてや一律に教えられることでもない。要は国がどれだけ自分(国民)にとってなくてはならないものであるか、ということを実感して初めて芽生えるものである。子供は実感している大人を見て自然と愛国心を抱くようになるのではないだろうか。昨今の社会保障システムの不安、国家運営組織の欠点や怠慢が数多く見られる状況では、自然と抱くようになるのは難しい状況だ。経済の二極化も難しさに拍車をかけている。


近年の政策では「規制緩和」と「自由競争の強化」が目標としてとられてきた。その結果はアメリカのような極一部の極端な成功者とその他大勢の非成功者という形ではないだろうか。成功しなければ誰しもが愛国心を持たないかといえばそうではないかもしれないが、やはり成功者のほうが愛国心を抱きやすいだろう。したがって、二極化した場合は極一部の成功者だけが愛国心を持ち、その他大勢は持たないことになる。それなのに全員へ持つよう学習指導するのは無理だろう。


愛社精神でも同じことだ。今の社会は「成果型」報酬体系が浸透している。つまり仕事をして成果をあげればあげただけ収入が増えるのだが、できなければその収入は低く抑えられてしまう。なぜなら、成功者に大きく報いねばならないのでその分非成功者への報酬は削らねばならない。成功者に大きく報い、非成功者にもそれなりに報いることができるほどの余裕はないのだ。したがって、成功者以外は愛社精神を抱きにくい構造となってしまうのである。


「28の法則」というものがある。これも科学的・統計学的根拠はないがこの法則は「よくできる2割の社員が他のできない8割の社員を賄うほど稼ぐ」というものだ。感覚的なものと思えるが、意外と事実かもしれない。だったらその2割の人間にだけ報いようとするのが現在の成果型報酬社会だ。つまりできる人間だけを選抜するということなのだ。ところでこの「28の法則」、ある蟻の研究で証明されるような結果が出たという。100%働く集団を作ろうとある蟻の集団の中から働き蟻だけを集めて別の集団にしてみる。ところが、働く蟻だけだったはずがその中から働かない蟻が出てくるという。更にその中から働き蟻だけを集めて別にするとまた働かない蟻が出てくる。誰もサボらない100%の確率で働く集団を作るのは無理だということらしい。人間の集団も同じではないだろうか。100%出きる社員だけを集めるのは不可能なのだ。できない者や努力しない者を擁護するつもりはないが、8割のできない社員がいるからこそ2割のできる社員が生まれてくるとも言えるのではないだろうか。


「28の法則」に似たようなものに「262の法則」というものがある。「良くできる社員が2割」と「普通にできる社員が6割」に「できない社員が2割」というのが一般的な構造であるというものだ。過去の日本ではこのできる2割に極端には報いなかったため、普通の6割にもそれなりに報いることができた。そのおかげかおよそ8割が満足を得やすい状況になっていたのだ。満足を得ると愛社精神が芽生えやすい。それが終身雇用制に表れていたのではないだろうか(愛社精神が先か終身雇用制が先かは判断がつけられないが)。


4月から世にでる新社会人も「28の法則」から考えると8割は不要な人材ということになる。しかし、それは全く夢のない話だ。みなそれぞれ希望も野望もあるだろう。何よりやる気がある。私は「2割しか報いないよ(報われないよ)」と教えるよりも「8割はある程度の満足を得られるよ」と教えるほうがいいと思うのだ。そういう社会・会社作りが大切なのではないだろうか。

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2008年03月25日(火) 19:20

確定申告も終わり落ち着いた週末、当社の従業員の結婚式があった。今は関東勤務だが式は新郎新婦の実家に近い奈良の橿原神宮で執り行われた。当日は天気が少し心配されたものの、式中は良い天気で記念すべき日となったことだろう。


ある結婚情報誌の調査によれば日本人の結婚様式はキリスト教式が65%、神前式と人前式がそれぞれ16%だそうだ。人前式とは耳慣れないが、宗教的にキリスト教式や神前式では不都合がある場合にとられるもので、様式的には教会や牧師のいないキリスト教式と思えばいいだろう。また同じく宗教的にごく限られた中では仏教徒の仏前式というのがあるという。こちらは神への玉串奉納や御祓いがない神前式というところだ。


もちろん今回は神宮なので神前式である。私が近年招待いただく結婚式はほとんどがキリスト教式であったので神前は久々で盃や昆布・するめをどうすればよいのかわからず少し戸惑った。ちなみに、神前式はおおよそ伝統的なものと思っている方も多いだろうが実はそうではなく、明治34年(1901年)に前年の皇太子(のちの大正天皇)の結婚式に影響を受けて広まったものだそうだ。執り行われる儀式は古式ゆかしいものであるが式自体は最近のものであったとは意外に感じるのではないだろうか。


さて、意外に感じるといえば、今国会で議論が白熱しているガソリン税暫定税率問題である。何が意外かといえばこの問題が『ガソリン税の税率だけ』と思っている(または思わせるような)報道が多いことと国民自体もそう思っていることだ。実はこの問題は税制改正法案の中の1つでしかない。他の法案自体が個別で議論の対象とはなっていない関係で置き去りにされているが、実は税制改正法案が3月31日までに通らなかった場合にはその他の税制が期限切れとなり各方面に大きな影響が及ぶ可能性があるのだ。


影響が大きいものでは土地購入時の登録免許税の税率が2分の1(2%→1%)に軽減されているものなどがある。ただでさえ、昨年末から不動産の流通は減速傾向にあるのに、そのコストが上がるとなればなおさら流通が減りかねない。それは景気減速に大きな影響を与えるだろう。また、私の職分である法人税などでは交際費の一部損金不算入規定や使途秘匿金の課税の特例、投資促進税制なども期限切れとなる。税額が減るものもあれば増加するものもありその影響度は簡単には計れない。


全国知事会は道路整備の必要性から暫定税率維持を訴えている。経団連は日切れによる一時的な取り扱いの変更によって国民経済が混乱するとして期限内成立を求めている。私は今回期限内に成立しなくてもいいのではないかと思っている。それは民主主義でありながら一党独裁という状態で漫然と過ごしてきた政治と政府機構の怠慢ではないだろうか。要は、ろくな審議もせずぎりぎりでも衆参両院を通過してしまってきたことや、また、年金問題など極一部しか政治に関心を示さなかった有権者にも責任があるのではないだろうか。今回はそのことを双方痛みをもって知るべきときなのかもしれない。

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2008年03月04日(火) 14:32

3月となった週末、同僚の結婚式が行われた。本職の年の2大繁忙期である確定申告の時期だが、それも忘れて楽しいひと時を過ごさせて頂いた。2次会は京都の三条にあるカフェレストランで行われた。久々の京都もまた楽しかった。


さて、京都といえばいろいろと思いつくが代表的なものの1つが『舞妓さん』である。多くの女性が憧れるというが、私は残念ながら未だ舞妓さんとご一緒する機会には恵まれたことがない。その舞妓さんが去る1月に国税庁の電子申告システム「e−Tax」で確定申告をし、同システムの推進PRが行われた。「普段パソコンに触れることのない私でも、簡単にできて便利どすね」(京都新聞抜粋)というのは作業をした舞妓さんのインタビューの回答だった。


今、国は電子政府化を推進している。その中でも、国の基盤である『税』関連については力を入れているようだ。本職もよく推進のお願いを官庁側から受ける。その度に推進するように努力している旨を返答するが、まだまだ不足のようだ。不足というのは何に対してかというと「目標数値」に対してである。『導入率○○%』という目標が官庁側にはあるのだ。


普通に考えて電子申告を導入すると便利であると思う。資料を税務署へ持参もしくは郵送する必要がないからだ。しかし、現時点ではそれだけである。個人の確定申告については、電子証明書を利用した申告をすることにより5,000円の税額控除が受けられるが、それも1回だけである。電子証明書を利用して申告するにはICカードとICカードリーダライタという装置が要る。ICカードは住民基本台帳で手に入るが手数料がいり、装置はもちろん普通に買わねばならない。たった1回5,000円の減税では元は取れそうにない。目標を達成するにはもっと思い切った措置が必要だったのではないか。例えば恒久的措置だったはずだが廃止した『定率減税』を適用させるなどあったはずだ。


個人から法人へと目を転じてみる。先年に制度変更があり、これまでは申告者自身に必ずICカードと装置が必要だったが今は税理士が持っていれば良いとなった。それにより導入しやすくなったが、そこで良く聞かれるのが『納付も電子(インターネットバンキングのことだろう)でできるのですか?』というものだ。納税者からすれば申告自体は年に1回(原則)であり、それほど手間ではない。それよりも法人の場合、月々の給与等に関する源泉所得税の納付が手間なのである。


制度自体で言えば「できる」のだが、そのためには納税者(申告者)に、先ほど必要がなくなったと述べたICカードと装置が必要となる。多くの方はそこで二の足を踏む。装置はタダではなく、ICカードの手続きも無料ではないからだ。商売と比較すればわずかな金額だがそれによるメリットがほぼ皆無(大きい会社は銀行マンなどが納付書と小切手を会社まで取りに来ることもあるので)な以上導入する必然性がない。そこが官庁側には理解できていないのではないだろうか。


官庁側の電子申告の導入目的は作業効率のUPと経費の削減のはずである。それは窓口での申告関連用紙の配布も減少傾向にあることで良く分かる。インターネット上にダウンロードできるようにしてあるのでそれを利用するように言われるのだ。その方向は間違っていないと思う。資源を大切にすることにも繋がるのであるから。しかし1つ忘れてはならない大きなことは「節減した経費(予算)をどこに使うのか?」である。


日本国は現在大きな負債を抱えている。早期のプライマリーバランス黒字化が必要なときである。この協力によって削減された分が黒字化に反映することが大きな意味での電子申告を導入する意味の1つである。申告者側が削減した経費を官庁側の別の経費に充てたり、それこそ職員に還元するというために導入するのではない。官庁側はそのことを肝に銘じ、協力したくなるように効果を目に見える形で表していく必要があるのではないだろうか。

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2008年02月18日(月) 21:43

ねじれ国会が相変わらず取り沙汰されている。最近では「ガソリン税の暫定税率維持」で与野党が争ったのが記憶に新しい。


暫定税率維持を目指す与党が、反対派の民主党が過半数を占める参議院での否決後の衆議院再可決を考え、その日程から期限切れを避ける目的で議員立法で国会に提出した「つなぎ法案」が更に議論を呼んだ。この法案は衆議院の各種委員会において賛成多数で可決されたものの、その後衆参両院議長の斡旋により年度内で一定の結論を得るという与野党合意がとられたため撤回された。


さて、このように揺れ動く国会だが、何が問題なのかあまり理解されていないように思われる。多くの報道は「ガソリン税の暫定税率延長」が問題だと考えているがそうではないと思う。暫定税率を維持するかしないかを充分に議論せず延長を当然と考えていたり、暫定としているにもかかわらず30年以上もの永きに渡って続けているという点である。


前回の延長は平成5年に行われた。15年も経過していれば経済状況も変化する。ならば本当に必要かどうかをもっと早い段階から検討しなければならないはずだ。ましてや「期限切れになって一時値下げは混乱を避けるためにとりあえず延長」などはあるべきではない。しかし、衆参両院を与党が牛耳っていたことが「議論なしに通過するだろうから期限間際でも大丈夫」という慣習が染み付いてしまったのではないだろうか。だとすれば非常に大きな問題だと思うのは私だけだろうか。


ちなみに今回の件ではガソリン税ばかりがクローズアップされたが実はその他にも多数期限切れとなる税法があった。その中でも特に我々の業務に影響があると思われるのが次の3つである。


交際費等の損金算入の否認
使途秘匿金の支出がある場合の課税の特例
欠損金の繰戻し還付


,牢慷神茲藁匹ご存知の交際費の10%が損金とならないものだ(諸要件あり)。△倭蠎蠕茲記されない支出に対し、その金額の40%が法人税として徴収されるもの。は一定の条件のもと、今期が赤字だった場合に黒字であった前期に納付した法人税を還付するものだ。これらがいずれもこの3月31日をもって期限切れとなる。特に,覆匹呂い泙泙埜鮑殀颪梁散盪仔を認められていなかった大企業も損金算入が認められることとなり、その税額に与える影響は大きいだろう。


期限経過後に再可決しても「不利益不遡及」の原則から可決までの期間が法律の適用除外期間となるかもしれない。そうなれば実務上非常にややこしいこととなる。今後どうなるか見極めていく必要がある。


ところで昨日は第2回東京マラソンであった。私の自宅近くも走路に選ばれていたので多数のランナーを見かけた。天気は良いものの非常に寒かったが参加者はみな元気に楽しそうに走っていた。私も参加を考えていたが時期が時期なだけに後遺症を考えて取りやめた。来年は3月後半になるという。確定申告も終わっている時期なので参加しようと思うが、来年は更に体力が落ちているはずだ。果たして完走できるのか。「つなぎ法案」のように直前に準備するのではなく早くから準備をしていかねばならないだろう。

邯鄲の夢 邯鄲の夢

2008年02月04日(月) 11:11

本年も早くも1月が過ぎ2月になった。2月の最初の行事といえば『節分』である。昨日も各地で行われた節分行事のニュースが報道された。


節分はもともと「季節の分かれ目」であるから2月のものだけではないが、特に冬から春にかけてのものだけが全国的にとり行われている。炒った大豆を掛け声とともに撒き、歳の数(もしくは歳+1)だけ食べることで無病息災を祝うものだ。起源は寺社の豆打ちとされる。また、近年では「恵方巻」と呼ばれる太巻きをその年の恵方に向いてまるかぶり(まるかじり)する行事も全国的に広がっている。もとは江戸時代末期から明治初期にかけて大阪の船場商人が商売繁盛の願掛けで行っていたものらしい(諸説あり)。戦後は廃っていたが、1970年代に復活したという。今では太巻きに限らず、ケーキなどの恵方巻が販売されているというからさすが大阪(船場)商人は商魂逞しいというべきか。


さて、豆撒き用の豆である「大豆」は近年急激に価格が上がっている。中国の経済発展による消費の台頭、化石エネルギー問題による代替燃料としての需要の増加などその理由は様々だ。いずれにしてもそのほとんどを輸入に頼っている日本一国ではどうしようもない問題である。ましてや過去の経済大国であった日本と違い、いまや経済力は諸外国に比べてそれほど抜きんでているわけではない。そのような状況下で中国・インドといった巨大な人口を抱えている国が経済発展すれば、その消費量たるや日本の比ではなく市場価値として日本の立場は弱くなる。そうなれば、どうしても手に入れたければ価格が更に高騰するのは避けられなくなる。まずは自給率を向上することから手を打つ必要があるのではないだろうか。


また先週は中国で加工された『冷凍餃子』の薬物混入問題が大きく報道された。日本国内で食べたことによる健康被害が多数発生しているこの問題で、ある番組でコメンテーターが
「餃子だけに限らず、日本独自の食べ物の加工食品まで中国に依存するくらいなら製造をやめてしまえばよい」
というようなことを言っていた。それは極論に過ぎるが似たような考えを私は持っている。


外国で作るということは、最終的に財を形成する給料も現地の人間に支払われるため『財』が国外へ流出するということである。その減った分はどこからか生み出さねばならない。したがって、国内では輸出製品を作って外国へ売ることで財を国外から調達することになる。過去の日本では国内生産が多かったため、国外から大量に財を調達できていた。しかし近年、不況による生産コストの削減、資本家の利益確保優先などで国内での生産は減ってしまった。つまり、財を調達する手段が減ったのである。私はそのように財を調達する手段を国外へ移してしまわなければならなくなるような経営をせねばならない『資本システム』は見直す必要があるのではないかと思うのだ。


食糧、石油に限らず研究開発には欠かせない鉱物資源なども価格が高騰している。技術はあるがその元になる資源が乏しい日本はそのどれもが致命傷となりかねない事態である。先ずは国外への財の流出を防ぎ、蓄財することから始めるのが良いのではないだろうか。

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2008年01月08日(火) 15:20

新年明けましておめでとうございます。昨日UPしたつもりだったができていなかったので新年早々1日遅れとなってしまったが、本年も当「邯鄲の夢」のご愛読をお願い申し上げる。


さて、西暦では2008年の今年は干支(えと)で言うと『子』年である。これは十二支の始まりの年だ。『漢書』律暦志によると「子」は「孳」(し:「ふえる」の意味)で、新しい生命が種子の中に萌(きざ)し始める状態を表しているとされる(Wikipediaより)。


ちなみにこの十二支だが、もとは古代中国(「殷」紀元前1600年頃〜紀元前1046年か)の天文学で天球の動きを表す方法の1つであって動物は関係なかった。その天球とは、地球から見える全ての天体がその上を運行していると仮定した球面のことだ。今風に言えばプラネタリウムと思えばよい。その天球を木星が12年(実際は11.862年)かけて動くことから、木星の動きを捉えることでその年の天体の動きを捉えることができた(実際は木星の動きが数え方と正反対なため仮想の星を記録したらしい)。そうやって12分割した1つ1つを『辰』と呼び、それぞれの「辰の呼び方」に十二支が充てられた。


本格的には更にややこしくなるのだがそれはさておき、この星の運行の呼び方が年の呼び方になり、月や日の呼び方になった。ただ、これは少し難しかったのか民衆に浸透しなかったようだ。そこで、後漢時代に王充という人物が覚えやすいように馴染み深い動物に例えたのではないかと言われている。


十二支という話になると言われるのが『なぜこの12種類になったのか』ということである。説話はいろいろとあるが良く聞くのは「神様が新年の挨拶で1番から12番までにきた者に1年ずつそれぞれ動物の大将にしてやろう」というものだ。そして「鼠」は夜から出かけた「牛」の背中に乗って到着直前に飛び降りて1番になったというものと、「猫」は鼠にいつ行けばいいのか聞いて嘘をつかれ間に合わず、選ばれなかった恨みがあるので追いかけるようになったというものだ。これは十二支があるほとんどの国で伝わる説話だそうだ。もしかすれば王充がより浸透するように一緒に作ったのかもしれない。


さて、始まりを象徴する子年の今年は何か新しいことを始めるには良い年なのかもしれない。年男でもあるのでいつもよりは少し大きな目標を持って取り組んでみようかと思う。来年ここで良い一年だったと報告できれば幸せである。

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2007年12月17日(月) 10:53

12月ともなると「今年の○○」というものが多くなる。流行った歌や映画などがそうだ。先日にはベストセラーが発表された。

ベストセラーは「国家の品格」だったが、気になったのは2位に入った「ホームレス中学生」だ。いささか衝撃的なこのタイトルの著者は漫才コンビ麒麟の田村裕さんだ。父親の病気と借金のためある日突然に家がなくなり「一家解散」を告げて父親は失踪、本人は公園で寝泊まりしたり、空腹のためダンボールを水にひたして食べたという実話の極貧生活を様々な人々との暖かいエピソードを交えて綴ったものである。


彼が実際に生活を送っていた14年前といえば1993年頃で日本の景気がピークを越えて明らかな後退局面に入っていた頃である。株価は4年前の大納会をピークに下がりつづけ、それを追うように景気が後退、地価も下落し続けていた。この頃になってやっと景気の減速が社会的に認識されたのだ。それまでは過去のあまりのプラスの財産のために誰もが楽観的で持ち直すと思われていた。ご存知のとおり、その後さらに景気は悪化することになるのだが。


バブル崩壊。この頃をそう表現するが言葉のとおり「泡(バブル)が弾けた(崩壊)」ように急に景気が後退したわけではない。充分な時間をかけて景気が後退したのである。その原因は様々に言われている。1989年に導入された消費税、1990年に大蔵省銀行局長から通達された「土地関連融資の抑制について」いわゆる『総量規制(金融機関の不動産関連融資残高の前年同期比増加率を、全融資残高の増加率の範囲内にとどめると同時に、建設や不動産、およびこれらの関連ノンバンク向け融資の実行状況を報告することを義務付けたもの。不動産の行き過ぎた高騰を防ぐためだったという)』という日銀による金融引き締めなどもその一因といわれている。いずれにしろあの頃の景気がずっと続くわけもなかったが、ソフトランディングに失敗した日本は大きなダメージを負い、10年以上も景気の低迷に喘ぐこととなった。


昨年頃から景気は少し回復基調となったが、今になってまた景気の減速感が漂い始めている。大きな原因は世界的な原材料品高騰による利益の減少である。それに伴う市場価格の値上げが一般市民の生活を直撃している。企業にしてみれば企業努力の末のわずかな値上げである。しかし、いくつもの企業が過去最高益を出した今回の景気回復がごく一部の層の人間のもので、多くの就労世帯の年収が回復どころか今年も減少したという状況にあっては消費者に値上げに耐える財力があるわけもなく短期間で景気が後退するのは当然だろう。誰もが中流世帯だったおかげで10年以上も耐えつづけられたバブル経済の頃とは話が違うのだ。


一方で高額所得者が増えつづけ、他方で低額所得者が増える。当然、努力をして機会を逃さず掴んだ者にはそれ相応の報い(報酬)が必要である。しかし、その代表的例が米証券大手ゴールドマン・サックスの平均ボーナス約7250万円(全世界で26,000人)では話にもならない。それは既に報酬という意味をあらゆる時限で超越している。その辺りを経営者や投資家、そして政府が一体となってもう一度配分を見つめ直す時期がきているのではないだろうか。


某テレビ番組で、先に述べた田村氏と同じよう自身の体験を綴った小説が大ヒットした島田洋七氏が過去の漫才ブームの時の稼ぎ振りについて語っていた。一番売れていた頃は年税額が5億円もあったという。金銭感覚が分からなくなり『銀座のクラブで良く稼ぐホステスが(月収)200万円』と聞いて、一晩飲んで200万円するのだと思い現金を2000万円持って飲みに行ったという。羨む他の出演者たちに向かってその島田氏が言った『(いくら稼いでも)人間3食以上はよう喰えん』という一言が印象的であった。


先週末に発表された来年度以降の税のあり方を決める「税制改正大綱」には『格差の拡大に対しては、きめ細やかで温もりのある対応を講じていく』とあった。どうそれが実現されるのか、じっくりと見ていきたいと思う。

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2007年12月03日(月) 15:04

今年も早や12月となった。いわゆる『師走』だ。『師(匠の僧侶がお経をあげるために東西に)走(る)』ほど忙しい月という意味だ。現代社会では、社会人は仕事上でもちろん忙しく、なおかつ各個人としても様々に忙しい月である。


そういえば和暦の師走の由来は知っていても英語の『December』の意味を知っている人はいるだろうか。実は「decem」は10番目という意味だ。古代ローマ暦は3月を始めとして10ヶ月とされていたので「10番目の月」という意味でつけられたのだ。それが今や12月となっているのは、紀元前45年にユリウスが改暦した時に3月の前に1、2月を入れたためだ。何ともいい加減なものである。


ちなみに、この新たに作られた1、2月だが元々日がなかったわけではない。言うならば、日付や呼び名のない約60日がDecemberとMarch(当時はMartius)の間にはあった。それに名称を与えたのだ。呼び名がなかったのは農閑期のため日付が必要なかったからというおおらかなもののようだ。


政治の世界ではおおらかにはいかず何かと忙しいようだ。特に今年は9月の首相の突然の辞任から、国会の開催がずれ込んでしまったためにまだまだ審議が進んでいないものが多い。そのうえ、衆議院と参議院の過半数勢力が与党と野党にわかれているために余計に審議に時間がかかっている。さらには防衛省前事務次官とその妻が逮捕された汚職事件も起きてもうほとんど麻痺状態である。おかげで衆議院の解散総選挙が早まるのではないかとまで噂されており、衆議院議員の方々は本当に忙しい年末となりそうだ。


当職も世間にならんで年末は忙しい月となる。サラリーマンの方々に関係する年末調整作業やそれに伴う書類作り、年末年始が休暇となってしまうための実質的申告期限の短縮など。また、年末には『税制改正大綱』という来年以降の税法の変更についての発表がある。内容によっては早急に対策をしなければならないこともあるので、それについても検討しなければならない。今年は大きな改正があるかもしれないので気がきではない。


話は変わるが2日には年末を先取るかのように大阪城ホールで「サントリー一万人の第九」コンサートが行われた。『第九』とはベートーヴェンの『交響曲第9番ニ短調作品125』のことで、文字通り一万人が合唱するコンサートである。第九が年末に合唱されるのは日本ではお馴染みだが、実は世界ではドイツを除いてほぼ例がない。日本でもずっと演奏されていたわけではなく年末に合唱されるようになったのは、戦後間もない頃に現NHK交響楽団が団員のもち代を集めるためにコンサートを開いたのが始まりという。第九になったのは当時クラシックでは必ず客が入る演目だったからだそうだ。意外と新しく、第九が年末になにも関係なかったのには少し驚きだ。


さて、最初に述べた『師走』の由来だが実は諸説あるらしい。四季の果てる四極(しはつ)、年が果てる年果(としは)つなど(高知新聞より)。師走以外は『果てる』というところが共通している。昔の人の「果てる」は何だかひっそりと静かに終わりを迎えるという感じで「侘・寂」を感じるが現代人はどうか。年末のあまりの忙しさに最後はぐったりと果てる人が多いのではないだろうか。

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2007年11月26日(月) 11:11

年末に向けて忙しくなる前を見計らったかのような三連休の前日22日に「ミシュランガイド東京2008」が発売された。初の東京版ということもあり、発売開始わずか2時間で完売した店もあるなどほとんどの店で売り切れたという。さてミシュランガイドとは何であるのか。


ニュースや情報番組などで散々取り上げられたのでご存知だろうが、一言でいえば旅行ガイドブックである。ただ単にレストランを紹介するだけではなく、星をつけてランキングするのが有名だ。最高の3つ星を獲得することがレストラン最高の栄誉とされている。


ミシュランガイドはその名の通り、タイヤメーカーのミシュランが作るガイドブックである。元々は、よりドライブを楽しんでもらおうとホテルや修理工場、ガソリンスタンドなどを含んだガイドブックだった。それが1930年代からレストランに格付けをするようになった(ミシュランホームページより)。


更に有名なのが「覆面調査」である。調査員が一般人として来店しサービスを受けることで、他の誰もが同じサービスを受けることができるようにするためだ。要は調査員のためのサービスではないことが重要だということである。その他にも細心の注意を払って作られているミシュランガイドの良し悪しは別として、現在の驚くほどインターネットが発展した世の中においてどれほど価値があるものなのだろうか。


例えば「グルメ」とある検索サイトで検索をかければ1億件近い数のサイトがピックアップされる。単なるお店の紹介サイトや個人のホームページまで様々だが、中には実際に行った人たちが感想や採点を書き込むサイトまである。書き込まれた感想は誰でも閲覧でき、また採点は一定のルールで累積されていき最新の採点結果が表示されるようになっている。そして地域や料理のジャンルなどによってランキングされているのだ。つまり、一般人全員が調査員であるということだ。しかも調査員の数はとてつもなく多い。そういう情報とミシュランガイドの差は何なのだろうか。


結論から言えば歴史だろうか。100年以上の歴史を誇り、多くの人々に指示されつづけてきたものとわずか数年のもの。その差がミシュランの価値だとすれば、いずれインターネット上のサイトでもそういう長い歴史的価値が認められてくるのかもしれない。


ミシュランガイド発売後、様々な議論も起きている。「訪問店はどうやって選ぶ?」「調査員に外国人がいることで日本の味がわかるのか?」「そんなので格付けされてはたまらない」など。確かに東京にはとてつもない数の飲食店がありそれを全て検証したとは思えない。また、外国人に日本の味がわかるかどうかも難しい話だ(というより、日本食をきちんと食べてきた人かどうかが問題)。いずれにしても主観が入るのは避けられない。ただ、ミシュランガイドを信じる人もいれば全く興味のない人もいる。そういうバランスが取れていれば良いと思う。


私も興味があるので掲載店には行ってみたいと思う。しかし、やはり一番行きたいのは自分で見つけた美味しくて居心地のいい店ではないだろうか。そういう店に足繁く通い、繁盛していずれはミシュランガイドに載る。そういうのも1つの楽しみ方ではないだろうか。

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2007年11月05日(月) 14:04

3日、文化の日の土曜日に知人の結婚式に出席してきた。前日までは天候が良くなく、当日朝方も曇っていたが式が始まる午後には晴れ間が広がり、外での記念撮影の時には秋晴れの青空に恵まれて非常に良い式となった。続いて披露宴が婚礼には珍しい黒を基調としたどことなく厳かな雰囲気の会場で行われた。


実は披露宴が始まって気になったことが一つあった。それは同席のテーブルに民主党の議員がいたことである。新郎の長年の友人だそうで、披露宴は数ヶ月前から決まっていたことだから仕方ないのだろうが大変な週末に披露宴が重なったものだと他人事ながら気になってしまった。大変な週末とは当然民主党党首の小沢氏が福田自民党党首との会談で持ち帰った『大連立協議』のことだ。


参院選挙で与党が大敗し与野党逆転現象が起きてしまったのは今年の夏の初めのこと。したがって自民党が是が非でも延長したかった『テロ特措法』が期限内には法案が認められず、時間切れで自衛隊の艦船がインド洋での給油を終了して引き上げたのは今月1日と記憶に新しいところだ。そのような不都合を避けるため、福田首相が小沢代表に連立を持ちかけたのが先週の党首会談の中での出来事である。小沢代表は『一存では決められない』と党役員会へ持ち帰ったそうだが、そもそも持ち帰ったことが良くなかったらしい。党の内外から批判を浴びて辞任表明に至った。


辞任表明でも『民主党は力量不足』『次期総選挙での勝利は厳しい』などの発言内容に批判が集まった。自己の力量をしっかり見極め、前回の時流に乗った快勝におごらず判断するのは重要なことであり正しい姿整だと思う。しかしタイミングが悪すぎだろう。対立する党の代表者が密室で会談して大筋で連立構想に合意をした後、自党内の反対によって実現が困難となった責任を取っての辞任会見で発言することではない。これではただの八つ当たりでしかない。


小沢代表が言うように力量不足も政権担当能力に疑問があるのも有権者は承知のうえだ。さらに『公約を実現するには連立が早道だと思った。』とも述べたという。確かに次期総選挙で勝てるかどうかなんてものは誰にも分からない。だから結果的に国民のためならば手段を選ばないということもあるだろう。しかしそれこそ総選挙で負けた時の台詞であって、今このとき言うべき台詞ではなかった。


自民党の長期独裁の弊害が多くでてきている現状ではより良い選択のために、まずは二大政党制を実現すべきだという提案を国民にして信託されたのが民主党ではなかったか。実力以上に期待している有権者も多数いるだろうが、私のように「自民党以外が政権を担うのは初めて(村山政権も自民党と組んだ政権だった)なのだから未熟だし、官僚機構と上手くいかないのも当然だ。それでも実践することが大事。」と思っている人も、また少なくはないはずだ。小沢代表は自党の実力などはもしかしたら誰よりも正確に見極めたかもしれない。しかし、国民の政治改革の意識を見極めきれなかったのではないだろうか。


披露宴は新郎の知られざる一面だったバイオリンの披露(過去に日本代表で海外公演までした実力の持ち主だったがほとんどの知人は知らなかった)とさらには新郎一家でのミニオーケストラがあり、大きく盛り上がって招待客はみな満面の笑みで新郎新婦を祝って帰路についた。小沢代表も密室で決まった連立協議などではなく、どうせならそのような素晴らしい隠された実力を披露してくれれば良かったのだが。

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2007年10月29日(月) 17:45

先週末に台風が日本列島を襲った。この時期に上陸するなんてと思われるだろうが、そう珍しいことでもないらしい。それよりも一向に秋らしくない天気のほうが心配だ。これも温暖化の影響だろうか。


温暖化といえば二酸化炭素の排出が問題とされている。今、目覚ましい勢いで経済成長を続けている中国はその排出量も増え続けており世界第2位で世界全体の20%弱を占めるまでとなった。ところで中国の問題は二酸化炭素だけではない。市場経済導入後、利益を求めるあまり環境に対する配慮がなかった。そのため大気・河川の汚染、森林破壊などが急激に進んでしまったのだ。


国土も人口も巨大な国なだけにその影響は国内だけにとどまらず、世界中に及んでいる。例えば大気汚染の場合では、その風下(偏西風のため)にある日本において最近森の樹木の立ち枯れが増えたのは、中国での膨大な石炭消費にあるという(中国当局は否定している)。経済発展に伴い電力消費が急増している中国ではそれに伴って火力発電所の石炭消費も急増している。しかも、環境対策用の装置設置は進まないのだから汚染も拡大の一途だ。また工場廃水も同じく対策をせずに排出されることが多く、その汚染は深刻な状態である。


さらに森林に至っては、1998年に起きた長江大洪水の原因が森林伐採にあるとして既に中国国内では大きな伐採が禁じられたため、その矛先が国外へと向けられている。極東ロシアやミャンマー、インドネシア、果てはアフリカのモザンビークにまで伐採の手が伸びている。正当な伐採ならまだ良いが不法伐採が横行しているから酷いものだ。先に述べたような国が多く目標とされているのは、不安定で力の弱い政権のため不法伐採にも監視が緩かったり賄賂などが効きやすいからだ。政治のトップレベルでは不法伐採を取り締まるよう努力はしているものの、末端までは行き届かないのが現状である。


こういう中国の環境を顧みない利益至上主義に多くの日本人は眉をひそめる。しかし、よく考えてみればわずか30〜40年前に日本が行ったこととほぼ同じことをしているだけなのだ。今でこそ日本は先進国の仲間入りをし、経済力でも世界有数となったが当時はまだまだ発展の途中だったのである。そしてそれゆえか、今の中国と同じように環境汚染・破壊を撒き散らした。


しかし、だからといって今の中国の行動を放置しておくわけにはいかない。その規模からして地球に与える影響は過去の日本の比ではないからだ。したがって先に同じ失敗をした日本や他の先進国は、主に政治として過去の反省からも環境に配慮した技術を優先かつ優遇して提供するべきだろう。また民間としては利益至上主義を排除しなければならない。自国内や自国の企業はモラルを守っているとしても、その取引先に安さを優先した中国企業があるならば意味がないことに気づかねばならない。それは末端の消費者である我々の責任でもある。環境に配慮した企業が作る製品を選択する努力が必要だ。


日本は四季の移ろいが魅力的な国である。地球温暖化はそれを奪いかねない。常夏の国、日本。このままではそんな日本が待っている。

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2007年10月15日(月) 17:17

つい先ごろまで残暑も厳しく、まだまだ夏の気配が漂っていたが急に気温も低下し秋らしくなってきた。週末には北海道で初雪が観測されたというのだから目まぐるしい季節の移り変わりようである。それに吊られるかのように政治や経済もいろいろと移ろいがあるようだ。


政治では参議院の与野党逆転、安倍首相退陣と福田首相就任など政策論議の前にバタバタしていたが、やっと落ち着きを見せ始めたようだ。そこで論じられているのが以前からの問題だった「年金」と「給油活動」である。どちらも特に目覚しい進展はないが根の深い問題だから仕方ない。ただ、以前から述べているように年金は今から犯人探しをしても仕方がないし、与党と野党がもめても仕方がない。一致協力して取り組んで欲しい。また、給油については最近になって小沢氏が「国連至上主義」と批判されているが、至上主義でなくても国連決議を得られない行為にどこまで政府が責任をもてるのかを問いたい。「国益」というが国益を重視して旧国連を脱退して悲惨な戦争を行ったのが旧日本政府である。建前であろうと国連という器を使う事によって、それほど悪化させずに同盟国との関係を保てるのではなかろうか。目の前の国益ではなく本当の国益を考えてよく議論していただきたい。


経済では10月に入り様々な商品の値上げが実施されている。個人に影響の大きい食品や光熱費も例外ではないようだ。理由は原材料の高騰である。原油や鉱物といった代表的な資源もさることながら、食料品もバイオエタノールといった新しい利用方法の拡大や消費そのものの拡大、収穫量の減少など複合的な要素によって値上げに結びついている。ほとんどの資源を海外に依存している日本では死活問題となりかねない様相を呈してきている。今は経済大国であることから食料品も大量に輸入できるが、このままでは長い将来に渡ってその地位におれるかも疑問である。そうなると一気に食料品の輸入は減るだろう。その場合には今の1億3千万人弱の人口は維持できないのは明白だ。食糧自給率がおよそ40%であることをから考えれば単純に言って5千2百万人しか維持できないことになる。また、ある適正人口論では江戸時代が最も適正だったとし2千7百万人が限界であるという説もある。いずれにしろ今の人口は多すぎるということだ。少子高齢化による人口減はある意味良いのかもしれない。


暗い話題ばかりでは滅入るので明るい将来の話も1つ。あるテレビ番組で今、海水で育つ稲を研究中の方が出ていた。どうやら重加速機によるイオンビームを稲種に照射して、遺伝子に突然変異を起こさせ塩分に強い稲を作るというもの。それが可能になれば世界の食糧問題は一気に解決するかもしれない。なぜなら食糧生産の大きな問題は真水の確保なのだからだ。世界中にある水分のわずか0.0001%しか人間は使えていない。97.5%といわれる海水が使用可能になれば無限の可能性があると言っても過言ではない。政府には給油や年金だけではなくこのような研究をしっかりとサポートしていってもらいたい。

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2007年10月02日(火) 00:20

先々週はハッピーマンデー制度による敬老の日、先週は秋分の日と月曜日が休日だったため3週間ぶりとなり、10月になった。その間の大きな話題を2つほど。


一番大きな話題はなんといっても安倍首相の辞任と福田新首相の就任である。もう既に辞任表明から3週間を経過したので今更だが本当に前代未聞のタイミングだった。所信表明演説からわずか2日という時間では演説から状況や考えが変わったというわけではなく、麻生氏が言ったようにその前から既に辞任の意向であったということだろう。それならば所信表明演説の前に辞任をすべきだろうに無駄なことをしたものだ。国会の開催も議員の時間も全てただではないのだ。おまけに一国の首相があれだけの演説をした直後に辞任とは政治の信頼も何もあったものではない。閣僚や議員に次々と不祥事が起きるのも当然なのかもしれない。


経済ではまたもや巨額詐欺事件の可能性がある事件が起きた。健康食品販売会社の「エル・アンド・ジー」が会員の協力金(と呼んでいる)に応じて支払っていた配当を停止したどころか、その協力金の払い戻しすら応じないという。それに対する都の調査の呼び出しに幹部が応じなかったため立ち入り調査が行われた。結末がどうなるかはまだ分からないがこの会社の行っていたシステムを見る限り破綻しないほうがおかしい。簡単に言えば、会員は協力金と同額の専用ポイントを1年に一度付与され、同社の市場でそのポイントと引き換えに商品を購入できるというものだ。この時点で既に気づくだろうが1年に一度同額であるから2年経つと倍になる。世の中を見渡してもそんな高率の金融商品は存在しないし、通常の事業でも元手の倍の収益を出し続けるなど至難の業だ。それが分からないのが不思議である。騙された後に多くの人が言うのは『最初はちゃんと配当があった』『騙されるとは思わなかった』だ。最初から多額な投資をする人はいない。だから巧妙な詐欺ほど最初に良い思いをさせてその後に多額な金を騙し取る。また最初から『騙される』と思って金を出す人はいないのだから『騙してない』という風に見せるよう相手はいろいろと偽装する。目先の利益に捉われずよくよくその商品のシステムを見極めることが大切だ。


9月の最終金曜日まではまだまだ厳しい残暑であったのに土曜日には特に東日本で急激に気温が下がった。前日比10数度も下がったところもあった。10月は一気に秋らしくなるかもしれない。そういえば10月はいろいろと変化がある。大阪御堂筋の路上喫煙禁止条例の施行、航空機搭乗時の電子機器の使用制限強化、食品や電気等の一斉値上げなど良いものもあれば悪いものもある。良いことばかりがあるわけはないが、少しでも良いことのほうが多ければありがたい。

邯鄲の夢 

2007年09月27日(木) 08:56

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2007年09月10日(月) 12:03

今日から臨時国会が始まる。参院選の惨敗を受け、退陣ではなく内閣改造で対応した安倍総理だったが、組閣後に次々と政治資金収支報告書における領収書偽造などの経費の水増しが発覚したり訂正を行う閣僚が現れ、わずか8日で辞任する大臣まで出してしまった。今回の臨時国会はそもそもの惨敗の一因となった『年金問題』も焦点と言われているだけにどう対応するのかが見ものである。


ところでこの年金問題に積極的に取り組んでいる政治家と言えば自民党の桝添氏と民主党の長妻氏だ。桝添氏は今回の内閣改造で厚生労働大臣に就任した。長妻氏は民主党の「次の内閣」で年金担当(新設)に指名した。この2人の対決が次の国会で大きな注目を集めるのは間違いないと連日報道されている。


しかし、と私は思う。桝添氏も長妻氏も政党という枠を外れれば、被保険者であり主権者でもある国民からすれば期待を寄せる人物である。双方それぞれ言い分や認識に違いがあるが、その違いこそがお互いの不足部分を補う効果があって別に真っ向からぶつかる類のものではない。したがって何も政党が違うからといっていがみ合う必要はないはずだ。マスコミは対決を煽るがこの部分に関しては超党派的な取り組みを期待したいと思うのが本当の国民の意見ではないだろうか。そういう声を拾ったマスコミの報道がないのが残念だ。


また、今回の臨時国会のもう一つの焦点といわれるのが『テロ特措法』の延長問題だ。前日になり安倍総理は自身の進退をテロ特措法の延長を主目的とした新法案の成立に賭けるという発言を行った。それが「国際的な公約」だからだそうだが果たしてそれで良いのだろうか。


テロ特措法の現在の具体的活動はインド洋における海上給油支援活動だ。これはアメリカの同時多発テロの後、テロリスト殲滅のためにアフガニスタンなどへ侵攻するアメリカ軍を支援するのが目的である。しかし、この行為は国連の承認を得ていない。国外での軍事活動を憲法で禁じている日本にとって、国連承認無しの行動は集団的自衛権の行使であって憲法違反は疑いがない。その憲法違反を明文化する新法案を成立させることに「進退」を賭けるというのが法治国家の首相とは笑い話でしかない。


安倍総理は就任時「美しい国、日本」を政権構想としていた。その美しい姿とは同盟国を無分別に支援することなのだろうか。アメリカの属国とも揶揄される姿なのだろうか。自らが示した「自由と規律を知る、凛とした国」「世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国」を忘れていないことを祈るばかりである。

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2007年09月03日(月) 21:06

9月1日の土曜日、当社の男子従業員が結婚式を行った。前日までは天候も不安定だったが当日は抜けるような青空の快晴で二人にとってとても良い門出となったことだろう。


今回結婚したのは当社の正社員の中では一番若い26歳である。相手は一つ上だった。さて、それに対し現在の日本の結婚平均年齢は05年段階で男性30.0歳、女性28.2歳である(厚生労働省「人口動態統計」より)。最近で男性の平均が26歳台だったのは70年代前半である。そのころの女性は24歳台だったので男女の差はほぼ変わらず35年で4歳も晩婚化が進んだことになる。


35年掛けて4歳であればそれほどでもないと思われるかもしれないが、同資料の最も古い1908年のデータでは男性が26.8歳、女性が22.9歳とそれぞれ第二次世界大戦前に上昇した時を除きほぼ横ばいで推移してきたのである。それを考えると驚異的なスピードで晩婚化になっていると言える。


晩婚化はいろいろな面に影響を与えているといわれる。出生率の低下もその一つだ。出生率が下がると当然高齢化社会が加速する。厚生労働白書によれば2030年には高齢化率(人口に占める65歳以上の率)が全都道府県で25%を超えるとされており、資料によっては3人に1人が高齢者となるとされている。現在の経済を支え、ちょうど2030年頃にその年齢を迎える30〜40歳代がこの予測を聞けばとても安心して働ける心境にならないのは確実である。この歪な人口予測を現実のものとしない為には老齢者を間引けない以上、出生率を上げるしかない。そのためには社会的支援も大切だが何より収入の確保、つまり民間の経済資源の振り分けが大切だろう。


近年、特に日本国内において経済資源の配分は労働者から資本提供者へと移すことが推し進められた。確かにそれまでは労働者や会社経営者への配分が多かったのかもしれないが極端な異動は労働者を貧窮に追い込み、晩婚化や少子化の一因となっているのは疑いない。それは企業業績が回復し株価が上昇、配当や経営者への配分が増加しているにもかかわらず給与自体がそれほど伸びていないことからも明白である。労働者は最も多い消費者層でもあるというのに。


さて、晩婚化などどこ吹く風で早めに結婚した彼らはその勢いで少子化も打ち破ってくれるかもしれない。ただ彼らだけに任せていてはいけない。どうしたら未来の歪みを止められるか、我々も真剣に考えていかねばならない。

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2007年08月27日(月) 21:38

土曜日、大阪で世界陸上が開幕した。世界陸上は2年毎(1991年以降)に開催されている陸上の世界大会で、今回は200ヶ国以上から2000名を超える選手が参加して熱戦を繰り広げている。


初日の土曜日には大注目の種目である男子100mの予選が行われた。日本人は最近になってトラック競技でもメダルを獲得するようになってきているが、この一番花形の100mでは予選を突破することすら難しい状況が続いていた。そんな中で大会参加7度目、35歳という年齢の朝原宣治が一次予選で驚くほど素晴らしい走りを披露した。


年齢的にはピークを過ぎた感もあり近年は特に成績も出せずにいたが、過去の実績と今大会にかける意気込みは違ったようだ。朝原は今回選手団の主将であり、また自身の選手生活の進退もかけて臨んでいた。つまり、大会へ向けては他の若い選手に声をかけてリラックスさせたりマスコミの対応をしたりと周囲に気を配りながら、自身のコンディションも細心の注意を払って整えてきた。そういった場合、気負い過ぎて本来の力を出せずに敗れ去る人が多かった。


予選の組み合わせを見たとき、正直私はますます一次予選で敗退する可能性があると思った。なぜなら今大会最有力候補の1人であるタイソン・ゲイ選手と同組だったからだ。参考記録ながら世界最速の男が同じ組だなどとは不運にもほどがあると感じた。しかし結果としては杞憂に終わった。朝原は素晴らしいスタートをきるとそのまま加速し、最後は少し流しながらゲイ選手らを抑えて堂々トップでゴールしたのである。まさに圧巻の一言であった。


その後、結果としては準決勝で敗れ本人の目標であった決勝進出は叶わなかったものの、大きな重圧に耐えるだけではなく、それを跳ね返した朝原の姿に多くの方が賞賛の声を送った。わずか100m。時間にして10秒。世界でわずか数人しか辿り着けない決勝戦を目指し、一途に、それでいてプロにはならずサラリーマンとして世界の頂点を目指した朝原の姿には私も素直に感動した。

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2007年08月21日(火) 20:08

先週はお盆休みだったがおちおち休んでいられない方が多かったのではないだろうか。なにせ週初めには約16800円だった日経平均株価が週末には15300円を切るという大幅な下落が起きたのだ。何とか下落は止まったがどこまで落ちるか気が気でなかったのではないだろうか。


下落の理由はマスコミで報道されている限りではアメリカの「サブプライムローン」の焦げ付きが原因となっているらしい。サブプライムローンは簡単に言うと低所得者向け高金利住宅ローンである(それだけではないが)。最近の住宅ブームにより多額の貸し出しが行われたが、それが中古住宅などの値下がりによって焦げ付き始めたというのだ。


なぜアメリカ国内での話が日本の株式市場の下落に発展するかといえば、そのローン債権が証券化され世界中のヘッジファンドなどで購入されているからだ。つまり今回はアメリカ、日本どころか世界同時株安を引き起こしたのである。そのサブプライムローンの融資残高は1兆3千億ドルにものぼり、そのうちのどれだけかは不明だが仮に第一四半期の延滞率の14%が貸し倒れたとしても1820億ドルが失われる。その影響は大と言えるだろう。


世界同時株安というか世界中(資本主義国家圏内)で不況が発生したのが1929年の世界大恐慌だ。この時はアメリカ・イギリスなどの植民地を多数持つ国は不況から立ち直るため、自国と植民地など以外の諸外国との貿易に高い関税障壁を設ける「ブロック経済」政策をとった。そうすることで需要を外に漏らさないようにしたのだ。そして貿易が封鎖されたことにより植民地などがない国は、軍拡による内需拡大とそれに伴い他国へと侵略を開始した。ウォール街の株価大暴落より始まったこの未曾有の経済不況はこのように第二次世界大戦発生要因の一つにもなったのである。


今回のサブプライムローンによる世界同時株安は各国の中央銀行が多額の資金提供を行ったこともあり、一応の収まりを見せた。しかし根本的な問題(「住宅・土地の価格は上がり続ける」が前提の仕組み)は解決しておらず再発の可能性もある。それが戦争につながるとは言わないが今、世界は20世紀初期以上にグローバルかつ複雑、巨大な経済システムで動いていることだけは知っておかねばならない。すべて「対岸の火事」ではないのだ。

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2007年08月13日(月) 10:35

先週6日月曜日、9日木曜日にそれぞれ広島と長崎で第二次世界大戦中に落とされた原子爆弾による被害者を慰霊するための平和祈念式典が行われた。式典では出席した安倍首相の前で秋葉広島市長と田上長崎市長がそれぞれ「憲法改正」について強く反対の意思を表明した。


昨秋に成立した安倍内閣が掲げる憲法改正論は、ご存知の通り平和憲法といわれる第9条について「現代の実態に則す」ように改正しようとすることである。現在の日本が保有している戦力といえば「自衛隊」だが、実態は「軍隊」と内外共に認識されている。それをなぜ自衛隊と呼んでいるのかといえば第9条で軍隊の保有を放棄しているからである。また、基本的に自衛隊の海外派遣はできないものの、近年は国連のPKO活動などに参加する為に派遣が実施されている。それらを特別に法律を規定して行うことが違憲論議を呼び、それが実態に則さないということらしい。しかし本当なのだろうか。


まず軍隊を保有できないとのことだが、自衛隊として保有しているのであるその主張は当てはまらない。それにいくら諸外国から「軍隊ではないか」と言われても自衛組織であることを主張するためにも「自衛隊」であり続けることに意味があるのだ。日本が気をつけねばならないのはその使用方法であり、組織の理念である。名称変更が使用方法や理念の変更にすぐ繋がるとは思わないが「名は体を表す」と言う。慎重に考えて欲しい。


またPKO活動についてだが憲法の前文には世界平和について言及している部分がある。今現在行っているアメリカ軍支援などは下手をすれば「侵略の手伝い」と言われかねないが、海外での国際貢献活動は国連決議があるものであれば憲法の精神に反しないのではないだろうか。


憲法改正にあわせて、核兵器についても自民党幹部から保有議論がでている。近隣の危険な国が持っているからといって対抗する為に持とうというのは、近代の歴史でも繰り返されてきた果てしない軍拡競争の始まりであってなんら建設的ではない。過ちをまた犯そうとしていることに気づいて欲しい。


戦後62年の今年、アメリカでも原爆後の映像や被爆者のインタビューを集めた映画がケーブルテレビで放映されるという。原爆投下を行ったアメリカでもようやくその実態に向き合うことが行われるようになってきたのだ。その時に唯一の被爆国である日本が「軍拡・核保有」路線でどうするのか。


くだんの映画の冒頭に原宿・渋谷の若者に「8月6日は何の日?」とインタビューするシーンがあるらしい。そこでほとんどの若者は分からないと答えたそうだ。戦争放棄の憲法を改正する論議をする前に、その憲法が作られた原因となった第二次世界大戦で何があったのか。それを今一度しっかりと教育していく必要があるのではないだろうか。

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2007年08月06日(月) 13:33

8月に入り、例年に比べてかなり遅くに梅雨があけたと思えばもう夏本番で茹だるような「暑い」日々が続いている。それにも負けないくらいの「熱さ」で参議院選挙の後の政界も動いている。


まず惨敗した自民党の安倍首相が「責任を取って」辞任するかと思ったがどうやらしないようだ。確かに辞任だけが責任の取り方でもないので投票結果を受け、民意を政策に反映してくれれば良い。ただ、民意ばかり気にし過ぎてもよくない。目の前にある国民生活と国としての将来という二つに対する政策のバランスが大事だということだ。そのためには就任時から掲げている「美しい国、日本」という具体的なものが見えないスローガンではなく、何を目指しているのかその意味をもっと解りやすい言葉で表さねばならないだろう。さらにそれを実現するための戦略と戦術を示して初めて理解を得られるはずだ。今回の反省がそこまで及べばいいが、大臣更迭や政治資金規正法改正程度で止まってしまっては首相は何も感じ取れなかったということだろう。今後も注意深く見ていきたい。


同じ「熱さ」でも爽やかさがあるのが今週から始まる全国高校野球大会である。昨年は現楽天球団の田中投手と早稲田大学の斉藤投手との行き詰まる投手戦など見応えのある試合が多かった。しかし、田中投手は大会前から注目されていたが斉藤投手ははっきり言って注目度は低かった。それが素晴らしい投球の結果、あれほどの注目度を集めたのだ。今年もそういう選手が出てくることを期待している。


「美しい日本」の「暑い」夏の夜といえば花火である。先週末全国各地で年間に行われる主要な花火大会の20%が開催されたというデータがあった。私も江戸川区の花火大会に行ってきた。江戸川の川原で行われたのだが、ふと遠方を見ると遠くで花火が打ちあがっているのが見えた。腹に響くほど近くで観る花火は綺麗で暑さも忘れるくらいだったが、遠くに見える花火も幻想的でまた別の良さがあった。


一瞬で消えてしまう花火や一度負ければ終わってしまう高校野球はだからこそ観ている者は感動し、それに向けて努力する者にも意味がある。それに比べ政治は「一瞬」であってはならないと思う。安倍首相は参院選の惨敗からか、今日の「原爆の日」平和記念式典に参加するために前日入りした広島で被爆者団体と懇談し「原爆症の認定基準」について見直す方針を突然表明した。被害者を労わることは当然であるし、支援することも国の役目だ。しかしそのためには財源が必要だ。その財源は他でもない国民が納める税金である。今回の安倍首相の発言が「一瞬」の判断ではなく、しっかりと考えたうえでの発言なのか。それを是非表明してもらいたいものだ。

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2007年07月30日(月) 19:12

昨日、参議院選挙に行ってきた。投票所は家からすぐ近くの小さい小学校の体育館だった。投票に行くといつも思うのだが投票行為自体は非常に呆気ないものだ。事前に送られてきている投票所入場整理券を渡し地区選出の投票用紙を受け取って投票し、再度整理券を渡して比例選出の投票用紙を受け取って投票する。ものの1分ほどで終了だ。投票用紙は共に七夕の短冊程度のものでしかも鉛筆で記入するから何とも貧弱(表現が悪いが)な気もする。複雑な手続きよりは断然いいのだけれども。

投票締め切り直後から開票と当選発表が報じられ、結果としては自民党の歴史的大敗と民主党の大躍進となった。多くの評論家やマスコミの事前の予想通りにことは進んだようで、参議院の第一党の座を戦後初めて自民党から民主党が奪い取ることになったのである。

与党である自民党は第一党を降ろされただけでなく公明党と合わせても過半数に大きく満たなくなった。これは現在の、衆議院で可決したあと参議院でも可決しなければならないという政治システムでは非常に政策運営が難しいことになったと言えるだろう。今後、自民党がどう対処していくかが注目されるところだ。

翻って民主党はどうだろうか。私の勝手な見解だが今回の結果は民主党が頑張って有権者に認められたというよりは、自民党には投票したくないからとりあえず第二勢力の民主党に投票した(消極的)という人が多かったのではないだろうか。もちろん積極的に民主党を選んだ人もいるが。いずれにしろ両者に共通するのが形は違えど「期待」であるのは間違いない。

積極的な期待者は例え民主党がそう上手く国政で力を発揮できなくても「衆議院は自民党が押さえてるから」などいろいろと考えて判断してくれるだろう。それが次の衆議院選挙の時に民主党への投票行為に繋がるかもしれない。しかし消極的な期待者はそうはいかない。自民党が駄目だから民主党に投票したけど結局は何も変わらないとなれば「やっぱり自民党しかないか」となる可能性が高いのである。

今回の大躍進で民主党議院は喜んでいるだろうし、自分達が支持されたと思っているかもしれない。しかし大躍進は「両刃の剣」だ。期待された分それに応えるハードルは非常に高くなったことを肝に命じて頑張って欲しい。

米国、英国とその植民地であった国などでは二大政党制が多い。それらの国政がうまくいってると言うわけではないどころか政党制は反対派だが、自民党の独裁が続くよりは良くなる気がする。民主党がその二大の一翼となるか。投票の時と同じようにこの勢いが呆気なく終わらぬよう期待したい。

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2007年07月23日(月) 08:30

中越沖地震が発生してから一週間が過ぎた。発生直後には繰り返された大きめの余震も今はなくなってきている。復旧はまだまだだが少し落ち着いてきたというところだろう。

それにしても日本は地震がよく起きる。大きなものが発生する度にいろいろな研究資料により再確認させられるが、「喉もと過ぎれば」というやつで少し経つと忘れてしまうことが多い。それが災害を大きくしてしまうことがある。

地震や噴火といった天災は、現時点では非常にあいまいで不確定要素が多い予測が出せる程度で防いだり威力を減らしたりすることはできない。したがって、今できることはあくまでも「発生後にどうするか」しかないのである。そのためには常日頃から頭のすみに起きた時の対処方法を置いておかねばならない。やはりそこを徹底して行うしかないのではないだろうか。

今、今週末の参議院選挙に向けて各党が政策演説を行っている。年金・政治改革・憲法改正などを打ち出しているが、災害に対するものは特に含まれていない。それは政治でも災害の重要度が低いことの表れである。

地震直後、安倍首相は応援演説を切り上げて長崎から東京を経てすぐに現地へ入った。そのことは対処法として評価できる。それと併せて事前の「教育」の大切さも気づいて今後の教育改革にも取り入れていって欲しいものだ。ただしその前に、参院選後に首相としてとどまれるかが注目されるところだが。

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2007年07月09日(月) 12:11

移転しての記念すべき第1回目である。なるべく楽しい話題をと思ったがそうもいかなかった。何にしろ今後もご愛読のほど宜しくお願い申し上げる。

今月末の参議院選挙に向けて何かと政界が騒がしい。中でも大臣の不祥事による辞任や疑惑が相次ぐ安倍内閣は、政策だけではなく任命責任なども問われておりその対応に必死である。それにしても久間防衛大臣の失言は別にして佐田行革大臣、松岡・赤城両農水大臣と不正経理疑惑という「政治と金」にまつわる話はいつまでたってもなくならない。

なくならない理由を考えてみた。一つ、というかこれしかないのだが「報告義務のない経費の種類や金額があること」だ。報告の必要のないものをわざわざ報告する者はまずいないだろう。ましてや、万が一それに不備があった場合に自身の立場を悪くする可能性があるのであれば尚更だ。したがって、前述した「報告義務のない経費」をなくせば不正もなくなるということになる。

実際はそう単純でもないだろうが、少なくとも今よりは随分とマシになるに違いない。それに、そういうくだらないこと(税金の無駄遣いは深刻でくだらなくないが、国会が国の運営が主命題という意味では一議員の不正を追求することはくだらないことと言う意味)で国会運営やその他に影響がでることが無駄だ。ではどうしたら良いか考えてみた。

まず、政治団体専用の会計センターのようなものを創ればよいだろう。そこが全ての政治団体の会計処理(経理処理ではない)を行う。当然、管轄は国で半数は公務員、半数は民間人で構成するが全て公務員扱いとする。その運営費は、管理される政治団体が必ず負担する均等割と収入金額に応じて負担する収入割で「前年に実際にセンター運営にかかった経費」を負担すればよい。その間は国が立て替える。

議員たちは「なぜ管理される側が費用負担しなければならないのか」と思うかもしれないが、一般企業は税金を納めるために自ら計算をしているし、そのための費用も負担している。しかも近年は消費税の課税対象範囲を広げるため、それまで「課税売上高三千万円超」だった基準を「一千万円超」と下げ、零細規模にまでその事務負担をさせているのだ。何もおかしいことはない。

「政治資金は政治のために使わないといけない」と声高に叫ぶ議員が出るかもしれないが、国民にとって先のような不正経理問題で紛糾する国会運営こそ税金が惜しい。その原因を作らないよう手を打つために多少の費用がかかるのは致し方がない。

いつか、全ての政治家が不正を働かなくなったら無くしてしまえばよい。しかし、「光と闇」の双子ように「政治と(不正な)金」は政治が生まれた時からあった。政治がなくならない限りあり続ける気がする。せめて七夕のように年に一度にならないものだろうか。


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